嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

2010年06月

有期雇用の友人が、理解できない理由で雇止めになりましたので、賛同人を募ります。

蒸し暑くなってきました。夜中にパソコンに張り付いています。主にエクセルを使って作業をしています。エクセルを使っていると、成績を付けていたことを思い出します。
「なんでそんなしんどいことをしたのか?」に対しては、「赤点を取らさないため」が最大の理由です。

どの科目でも小テストを毎回しました。受ける生徒も大変なら、問題を作って採点する側も大変で、双方が「大変」なら「止めたらいいのに」と今でも思います。

 

学期ごとの中間・期末試験ではギャンブル的要素もあります。当日体調が悪かったり、寝坊したりetcとか。小まめな小テストと配点の高い定期テスト。ホント、成績を付けるのは苦労したなぁ~
パソコンが普及してからは随分助かりました。
そんなことを考えながら、作業をしています。

なんでそんな作業をしているのか?そういう疑問をお持ちの方は、以下の嶋田ミカさんの雇用継続を求める会賛同人のお願い」を読んで、あなたも賛同人に名前を連ねてください。そう、最後まで読んでくれた人には、私の役割が分かりましたね。同じような、有期雇用の卒業生からメールが来ていますので、「続きを読む」に入れておきます。

2010623

 

「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」賛同人のお願い

             

「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」 

代表 田中宏

 

龍谷大学特別任用教員助手の嶋田ミカさんが、本年3月、「雇い止め」を通告されたことをご存知ですか。嶋田さんは20074月に経済学部サービス・ラーニングセンターに3年契約(一回更新可)の助手として採用されましたが、大学当局から何らの理由も明らかにされることなく、単に「期間終了」というのみで解雇されました。大学当局の行為は、とうてい納得のできるものではありません。

嶋田さんは民際学の研究者としての業績だけでなく、インドネシアの貧困女性を対象にマイクロ・クレジットを供与するという地道な活動も続けています。嶋田さんのこうした研究業績や実践がサービス・ラーニング・センター助手の仕事にも生かされたことはいうまでもありません。

龍谷大学は、建学の精神(浄土真宗の精神)に基づく、すべての「いのち」が平等に生かされる「共生(ともいき)」の理念を掲げています。「人間のポイ捨て」に等しい今回の雇い止めは、この建学の精神に合致しているとは思えません。

この間、嶋田さんは、龍谷大学教職員組合を通じて大学当局と交渉を続けてきましたが、大学当局の態度は全く変わりませんでした。嶋田さんは今回の雇い止めは、あまりに理不尽であると考え、やむなく、75日京都地方裁判所に提訴することにしました。

最近、多くの大学で所謂「高学歴ワーキングプア」と称される非正規の教員が増加し、理由なき有期雇用や「雇い止め」が横行しています。しかし、ほとんどの人が次の就職などを考え、泣き寝入りせざるを得ないという現状です。

この流れを止めるためにも自分が声をあげなければという嶋田さんの堅い決意に対して、私たちは「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」を発足させて、全力で支援していこうと考えています。嶋田さんの闘いを支えるために、この会の賛同人になっていただきますようお願い申し上げます。賛同していただける方は、「賛同人申し込みフォーム」にご記入の上、第一次締め切り7月3日までにメールかFAXで以下の事務局に送ってください。

 

嶋田さんの雇用継続を求める会

556-0022大阪市浪速区桜川2-13-15  外国人政策懇話会気付  

Tel&Fax: 06-7492-7166  

EMails.koyokeizoku@gmail.com  

事務局担当: 嶋川まき子 林真司  

呼び掛け人一覧              (6月23日現在、五十音順)

代表:田中宏(元龍谷大学経済学部特別任用教授・一橋大学名誉教授)

生田武志(野宿者ネットワーク代表)

井上昌哉(京都大学時間雇用職員組合ユニオンエクスタシー世話人)

小川恭平(京都大学時間雇用職員組合ユニオンエクスタシー世話人)

小川裕子(生活保護施設職員)

片山一義(札幌学院大学経済学部教員)

角岡賢一(龍谷大学経営学部教授)

北上田毅((特活)京都サマール友好協会理事長)

久場嬉子(元龍谷大学経済学部特別任用教授・東京学芸大学名誉教授)

竹中恵美子(元龍谷大学経済学部特別任用教授・大阪市立大学名誉教授)

戸村京子((特活)チェルノブイリ救援・中部理事)

中村尚司(龍谷大学研究フェロー・(特活)JIPPO専務理事)

春山文枝(多目的カフェかぜのね協同経営者・元京都精華大学人文学部准教授

古屋哲(大谷大学非常勤講師)

細川孝(学術人権ネットワーク事務局次長・龍谷大学経営学部教員)

丸山里美(立命館大学産業社会学部准教授)

宮田弘(京都市交通局職員)

望月太郎(大阪大学大学教育実践センター教授)

森石香織(看護師)

屋嘉比ふみ子(ペイ・エクイティ・コンサルティング・オフィス代表)

山崎淳子(元京都橘高等学校教

山根実紀(京都大学大学院教育学研究科院生

山原克二(ゼネラルユニオン委員長)

脇田滋(龍谷大学法学部教授)

嶋川まき子(元高等学校教員・女性卒業生のための労働相談室主宰)

林真司(外国人政策懇話会世話人)

 



賛同人申し込みフォーム

・お名前
・フリガナ
・所属
・肩書き
・メールアドレス
・住所〒
・電話
・お名前の公表:可(  )・不可(  )どちらかに○
・肩書きの公表:可(  )・不可(  )そちらかに○
・肩書き公表可の方は、公表のときの肩書きの名称:
 例肩書き府立△△高校教諭→大阪府立高校教員
・メール登録:可(  )・不可(  ) 裁判等の情報をお知らせします。どちらかに○

賛同団体申し込みフォーム
・団体名
・代表者
・所在地〒
・電話
・メールアドレス
・メール登録:可(  )・不可(  )どちらかに○











 

 

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役員報酬と仕事の価値

日産のゴーン社長の年収が8億9千万円と株主総会で明らかにされたとTVで放映していました。社外取締役を含む12人の報酬総額が169千万円。ゴーン社長は「他のグローバル企業に比べて決して高くはない」とのご弁。

 

マツダ(広島)で惨劇が起きました。真相は分かりませんが、亡くなった方も同じ労働者でした。会社の責任者は「正社員と期間工の待遇に大差はない」と述べていました。これはTVで見ましたが、新聞には書いてありませんね。

 

お金は沢山あった方がいいのですよね。年収9億近い額をどう使うんだろう(感想&疑問)!?60歳定年で85歳まで生きるとすると5千万円近く必要と何かで読んだ記憶がありますから、5000万円までは自分の脳みそが把握できる額かな?これで年250万円、もう少し贅沢をして1億円、年500万円の計算です。やはり年収9億近い額(手取りはいくらかしらと興味津々。ネットで検索したら約41500万円と出ました。配偶者以外の扶養家族3人で計算。勿論、健康保険や年金などの社会保険料や税金を差し引いています。)は、使い切れないのではないかと思います。

 

兼松裁判の原告の職務評価をこのブログで紹介したことがありますが、Aさんの職務評価の相手は当時の上司でした。上司100点に対して確か95点くらいありました。その上司は今の商社兼松の社長です。いくらくらいの年収なのでしょうか?


社長と労働者の仕事の価値って、そんなに差があるものなのでしょうか?
ゴーンさんを含む役員の報酬額を少なくすれば、何人の期間工や派遣労働者は食いつなぐことができただろうと思います。これが資本主義なんだと、頂点に居る人は言うでしょうね。

 

キルギスタンの紛争の実態はなかなか見えてきません。前回のウズベキスタンの見聞録でも書きましたが、政治的な話題はご法度でした。私たち日本から行った観光客が聞かなかったからなのか、聞けば若いハンサムな通訳はどんな顔をしただろうか、と少々残念な感じです。キルギスタンで権力を持つことができれば、それを身内にまで拡大できると新聞で読みました。今回の内乱を操ったとされる前大統領、それを倒して政権を執った現大統領も同じ轍を踏んでいるようです。

 

アフリカでも最貧国のジンバブエの大統領に繋がる一族が22億円で豪邸を建てたと「NHKhi」で見ました。その大金持ちの人物に「どうしてこんなにお金持ちになったのか」と記者が質問していましたが、「神の思し召し」「すべては神がお決めになったこと」との回答を繰り返していました。神の意見も聞いてみたいですね。

 

権力にいない者には見えていない、分かっていないことが沢山あります。賢くあらねばと思います。では今日はここまで

労働問題番外編ーウズベキスタン


昨日から近畿地方も梅雨入りでした。雨は大嫌いの私が心地良く雨音を聞いています。

この湿度が、皮膚に、肺に潤いをもたらしてくれるような感です。

最高というくらい長いブログ休止でした。理由の一つに、ウズベキスタンへ行っていたこともあります。他にも言い訳は沢山あるのですが…。

ということで、今回は労働問題からずれた話題ですが、タイムリーな記録と思し召し、寛大な心でお読みください。


ウズベキスタンは暑かったの一言に尽きます。乾燥しているので直接太陽が皮膚に突き刺さる感じです。これが雨音の心地よさの理由です。
サマルカンドから首都のタシケントまで急行列車で4時間。冷房が故障していて、車中はほぼ無風の蒸し風呂状態。窓が上部20cmほどしか開かないので、この道中で全エネルギーを費やしてしまいました。タシケントの駅での温度計はほぼ40度を示していました。冷房の故障は間々あるそうで、「運が悪い」と諦めるしかないそうです。(ほぼ時刻通りに出発しました)。街を走る車もバスもまだまだ冷房設備はないようで、窓を開けて走る車が見られました。

 

「ウズベキスタンへ何しに行ったのか?」ですって!「ウズベキスタンにある天山山脈の西端で、チューリップや犬サフランの原種を愛でつつハイキングをしてきました。」

        
   
チューリップの原種          廟で祈る女性
チューリップの原種         廟で祈る女性


世界史の資料集に「汗血馬」の図があったのを覚えていますか?

世界最速の馬、一日に千里を走り、血のような汗を流した馬は今で言うところのサラブレッドの基となるアラブ馬のことです。「この馬がいかに速いかを表現するには、あなたならどうしますか?」というような質問をしたような記憶があります。答えは「続きを読む」を見てください。この馬の産地フェルガナの近辺の山をハイキングしてきました。

 

帰国して新聞を見てびっくり!出発前に報道されていたキルギスの紛争が更に拡大しています。ウズベキスタンの国境に近いキルギスのオシ州には多くの割合でウズベキスタン人(ウズベク人)が住んでおり、この人たちはウズベキスタンへ逃れ始めているとのことです。

ウズベキスタンは旧ソ連下にあった国で、1991年ソ連崩壊により独立しました。周辺にカザフスタンとかトルクメニスタンとか、スタンの付く国があります。スタンとは「州」のことです。第二次世界大戦中は、ドイツから攻撃されなかったウズベキスタンの地にソ連の工場が移転し、ロシア人が移住してきました。飛行機工場もありました。さまざまな民族の人々が暮らしていて、顔立ちも様々でした。貧富の格差が民族と結びつくと、キルギスのように暴動が起こるかもしれません。

イスラム教徒が多いのですが、社会主義国だったため、宗教色は強くなく、女性たちの服装はさまざまでした。年配の女性は総じて光り物系がお好きなようでした。

 

日本語ガイドは23歳のとてもハンサムな男性で、ロシア系です。日本語を学んで5年、時々混乱するようですが、よくここまで習得したと感心しました。よって彼は、ウズベク語、ロシア語、英語、日本語を話します。しかし、地方の若者は英語は苦手なようで、サマルカンドのバザールで英語は殆ど通じませんでした。

ウズベキスタン人口のほぼ6割は労働人口で、高齢者の率は低く(通訳は確か5%と言っていた記憶があります)、そのため雇用の場を確保するのはなかなか難しいようです。しかし、若者たちがそれで荒んだような感じは受けませんでした。丁度夏休みに入っていて、手伝いをする子どもを多く見ました。


ガイドの彼はもっと日本語をうまく話せるようになって、ガイドを沢山引き受けたいと話していました。今月は私たちのガイドだけだとか。「日本へ行きたい」と熱く語ってくれていましたが、これはサマルカンドの駅で立ち話をした若くて長いまつげに縁取られた印象的な目をした女性も「
My dream is to go to Japan」と言ってました。資生堂の化粧品を使っているとのことで「good」とも。日本は彼や彼女にとってどういう国のイメージなんでしょうか?物価の違いが大きすぎて、「是非来てください」と気軽には言えません。


都市の信号はあっという間に青から赤に変わり、横断歩道のすぐ前には蓋のない溝があったりして、障害者とか高齢者への配慮はないようでしたし、そういう人たちを見かけませんでした。


大統領は、独立後ずっと同じ人物です。20年間ほどですね。事前にネットで独裁体制であると調べておきました。そういえば保養地であるダム湖のある地域では「大統領の別荘があるので写真を撮らないでください」と言われました。空港や橋のあるところも写真撮影は禁止でした。それから、首都の観光では大統領官邸とか国会議事堂とか、政治的な場所は全く案内されませんでした。勿論政治的な話題も一切語られませんでした。

 

観光地はあまりの暑さに印象が殆ど残っていません。しかし、ハイキング地はまだ観光化されていないので、そこに住む人たちの生活をじかに見ることができました。都市と地方ではかなりの格差があると感じました。地方は牛や馬、羊、ヤギが放し飼いされており、登山口からある程度の高度までは、雪を頂いた美しい天山山脈の一部を見ながら、絶えず足元も見ながら歩かねばなりませんでした。至る所これらの排泄物だらけでしたから。日本へ帰ってきた今も、時々その臭いが蘇ります。


寒暖の差が激しいので、果物はどれも甘く、品種改良されていないその果物が持つ味がしました。さくらんぼでも杏でも道路の木々に鈴なりでした。排気ガスを気にしなければ、「いつでも摘まんでください」のようでした。
野菜もみずみずしく、さすがシルクロードの中継交易地だけあって味付けも多様。トマトもきゅうりも昔食べた懐かしい味でした。土地と水のバランスが取れていないので、集約的な農業ではないようです。


ハイキング中、養蜂家を沢山見かけました。お土産に蜂蜜でもと考えましたが、観光化はまだそこまで進んでいず、家にある瓶にビニルで覆ったようなものばかりで、持ち帰れませんでした。近々私と出会う人は、そういう訳で「暑かった」の土産話しかありませんから念のため!


3
年後に訪れたときには大きく町や人の生活は変貌しているだろう予感を抱かせる建設ラッシュでもありました。
世界史の中で知っていたシルクロードの交易地、そこで生活する人々を見ることで、単なる地名でしかなかったものが、身近なものとして感じられるようになりました。安定した国ではないようで、2005年には反政府民衆蜂起があったようですが、欧米諸国の報道を一切入れず、人権団体からクレームも付いている国でもあります。


南の隣国はアフガニスタン、ガイドの青年が子どもだったときにはめったに見なかった「アフガンカラス」が住み着いています。なぜか「アフガンカラス」という言葉がいつまでも心に残る旅でした。
IMG_2472syusei
アフガンガラス

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