嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

2012年02月

大阪の教育基本条例

今年はうるう年とはいえ、二月は短いのでした。ブログの更新、最低月2回更新が果たせなくなりそう。

今回の労働問題は、日系ブラジル人の賃金をめぐる裁判、と書き進めてきたのですが、昨晩急きょある学習会に参加して、思うところが多々あったので、日系ブラジル人の訴訟については、次回に回すことにしました。


学習会の中身は、今、大阪府・大阪市で進められている教育基本条例を、既に競争原理を取り入れているアメリカの現状から考察するという内容で、これは
21617日に毎日放送VOICEで放映されました。Youtubeで見ることができたのですが、割と早くに削除されました。概要は、以下のサイトで読むことができます。

http://www.mbs.jp/voice/special/201202/17_217-1.shtml


私も、橋下改革
(改悪)にはびっくりしました。現職であった頃の、いろんなことを思い出しながら、考えました。報道ではなかなか現場の生の声が伝わって来ません。学習会では、現場の教師が声を上げていかなければならないとの意見もありました。この条例は、「罰則」が教師を縛っています。昨年に発表された教育基本条例では、学校ごと教師をランク付けし、最低5%のランクにある教師は「免職」でした。さすがに批判が強く、トーンダウンして「相対評価」が「絶対評価」に、「免職」は「研修」に変わりました。
評価を誰がするのか?校長です。校長になった人も大変!この校長も公募とありますが、学習会の会場からは「非正規の校長に誰が応募するでしょうか」の意見がありましたが、その反面、公募だから無責任に評価するということもあるでしょう。

さて、このブログは労働問題が主ですから、労働者でもある教師について、この条例が導入されれば、職場にどのような変化があるかを想像してみます。また、橋下市長が「義務教育課程の小・中学生が目標の学力レベルに達しない場合、元の学年に『留年』させることを検討するよう市教委事務局に要請した」(2012.02.22朝日)こととも関連させて考えてみます。


教師が他の職種と異なる点は、新米先生でもベテランでも教室では1人で生徒と対することです。最初から思うような授業なんか出来ません。「悔しい」と職員室で泣いていた新米先生を思い出します。要は生徒に舐められたのです。でも、その新米先生は一生懸命でした。私は彼の家庭訪問に何度も付き会いました。早くに母親の存在がなかった生徒の家はレトルトカレーの袋ばかりで、殆ど炊事道具がありませんでした。「ロールキャベツというものを食べてみたい」という生徒と一緒に材料を買いに行ったその先生の一生懸命の姿を覚えています。生徒もきっと担任の懸命さを分かったことでしょう。

橋下改革下なら、新米先生が職員室で泣くということはないでしょう。失態は即評価に繋がりますから、彼は心に抱えたままでしょう。職員室は静まり返って、そのような先生たちの抱えている問題を吐露する雰囲気ではないでしょう。最近の職員室はとても静かで、先生の生徒を叱る声だけがあると、元同僚が話してくれました。

卒業前の追試の勉強を、職員室で受けている生徒がいました。この科目を落とせば落第という切羽詰まった状況でした。何の科目かは忘れましたが、担当教師はその生徒を教室から職員室へ移動させ、自分の溜まっている仕事をしながらその生徒を教えていました。とても問題行動の多い生徒でしたが、さすがにその時は素直に勉強していました。夜になってもまだ補習は終わりません。その生徒の横を通る先生たちは、彼の頭を撫でて通り過ぎます。誰かがお菓子を机に置きました。プレテストでの彼の手が緊張で震えていたことを今でも覚えています。無事卒業し、今では地域の少年野球チームの指導者で、二児の父親です。多分今、職員室でこのようなことをしていたら同僚から指摘されたでしょう。「職員室は教師もものだ」


教師を罰則で縛りランク付けするということが目の前にあれば、教師は自分を守ることに必死です。しかし、その新米先生のクラスが良くならば、学年全体に効果は波及します。新米先生を他の教師がサポートすれば、それは自ずと生徒に伝わります。
小中の現状はこんなことでは済まないでしょう。いったん学級が崩壊すれば、その原因は教師かもしれないし、生徒かもしれないけれど、簡単には収まりません。学年・学校全体が一丸となって取り組まねばならないことです。


高校生を留年させるかどうか、毎年
3月苦渋の決断をしなければならない職員会議があります。高校生ですら「この生徒は留年したら、1年下の生徒と一緒に学年をやり直しできるのだろうか」と、その生徒の性格をも考えます。せめて高校卒だけの資格は必要というのが現状です。(余程特殊な技能を持つ職に就かない限り、学歴と正社員の雇用形態とは密接なる関連があります。)留年させないために、放課後や早朝の補習、何重にもネットを張って、すぽっと落ちてしまわないようにあの手この手を考えます。あの手この手はたちまちオーバーワークに繋がります。


橋下市長は、市教委幹部に「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標のレベルに達するまで面倒を見ること」と言っています。これ自体は正しいと私も思います。トーンダウンした結果、元の学年にとどめ置く方法ではなく、不得意な教科に限って下の学年で学ぶ「科目別留年」や、学力の到達度が低い子どもを集めて数週間、下の学年で教わった内容を集中的に復習させる特別学校を設置することもできると変わってるようですが、橋下さんの唐突とも思える発言は、具体的な施策の裏付けがありません。


近所のおばあさんの立場の人が、1ヶ月間ほど、小学2年生の孫を預かりました。宿題を見るのが大変だったとこぼしていました。毎日、漢字の書き取りや、国語教科者の読みの確認、算数。その方が母であった頃とも、その方が小学生であった頃とも大きく異なっていました。親が一定の家庭学習に付き合わないと、学校での学習に付いていけないようですね。このあたりの事情は、卒業生に教えて貰った方がよさそう。学力低下を補てんするためには、「集中的に教えればいい」というような単純な方法では解決できないことが背景にあります。
「留年」という前に教師の数を増やす、生徒の数は減らす、家庭学習にウェイトを置かない、そういう保証をした上で発言をしないと、無責任な発言と言われても仕方ありません。


確かにヨーロッパで小学生でも留年はあると聞いています。その子どもが全く平気というわけではないと思いますが、個性を重んじる国と、横並びを重んじる国とを同列に論ずるのも軽率すぎます。毎日元気に学校へ通い、それでも留年した小学生を、その子の個性だと受け入れるようになれば、日本も相当良い方向へ変化して行っているのかもしれません。

橋下市長の、思想調査そのものとも言える強制的なアンケートについては、毎日報道されていますから、今回はパスしますが、歯切れのよい言葉の後ろに何があるかを見抜く目を待たねばなりません。大阪府下の職員室から、笑いや仲間意識が消えていくのは時間の問題でしょう。


競争原理を導入したアメリカ
(2002年ブッシュ政権)やイギリス(1988年サッチャー政権)の教育は破たんしました。イギリスでは、全英校長会が学力テストの廃止を打ち出しました。番組では、教育に競争原理を導入したニューヨーク大学ラビッチ教授が「日本にアメリカの失敗の真似をしてほしくない」と言っています。

大村はまさんという名物中学校教師がおられました(2005年死去)73歳まで都立の中学校で国語を教えていました。定年をはるかに超えてまで請われて教壇に立った素晴らしい授業をする人でした。大村さんの言葉に「教育の成果は見えるものではない。例えるなら、重い荷車を曳いて坂道を登っている人の背後でそっと押しているようなもので、押された本人は気がついていない。そんなものだ」があったと記憶しています。橋下市長の喝さいを浴びる歯切れのよい言葉が、まありにも単細胞から成っていることに警戒しなければならないと考えます。「私の言うことが聞けないのなら、辞めたらいいでしょう」。まあ、今の資本家は同じようなことを既に言ってますけどね。「この賃金で厭なら辞めたらいいでしょう」。

では、今日はここまで

セクハラ裁判&伝統ー共通するものがある!

BSNHKで、イザベラバードの番組を見ながらパソコンに向かっています。(それから早や一週間経ってしまいました。なにしてたんや!!)

≪イザベラ・バードは、イギリス・ヨークシャー出身。1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅し(連れは通訳の日本人男性1名のみ)、また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ね、これらの体験を1880 "Unbeaten Tracks in Japan" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録。≫(wikipediaより)


私は余程ひねくれているのかな?って思いながら見ていました。イザベラ・バードが旅した頃の日本を、今の日本に訪ねる番組です。いわゆる温故知新かな?江戸時代の風習が今でも大切に伝承されている滋賀県甲賀市水口町北内貴の「十人組」を紹介していました。集落のこの十人の長老が年24回の行事を執り行いっていくことで、伝統行事が継承されています。それ自体に文句はありません。しかしなのです。この長老が全部男性で、どうもこの集落は長男がその任を受け継いでいるようです。で、年24回の下支えは誰かって?勿論女性です。行事の後の宴会のために女性が待機しています。「大変でしょう」との取材人の問いかけに曖昧な表情の女性の顔。そりゃ言い難いでしょう。女性に人権のなかった時代の行事をそのまま伝承することが、伝統を守るということなのでしょうか。厳しいイスラム原理主義の下、頭からすっぱりと全身を覆うブルカを着なければならない女性たちを「気の毒」って思っている日本の女性も大差ないかもしれません。


さて、本題です。
衝撃的な判決でした。まさかの敗訴です。判決の内容は下記に記した動画サイトで語られています。

事件は以下です。この記事はACW2(働く女性の全国センター)のHPから採りました。


≪就職氷河期、社長と店長による、アルバイト中の就職内定者である学生へのセクハラ≫ 

1. 概要 (原告より)
2007
4月、私は株式会社銀蔵に内定しました。就職難の中、私は大好きなバッグやジュエリーにかかわる仕事、そしてバイヤーを目指したいという夢で、この会社に内定できて、とても嬉しく、頑張りたい気持ちでいっぱいだった。20078月下旬、人事より連絡があり、秋に関西初進出するので、私に卒業まではアルバイトとして一緒に行かないかということだった。行くか、行かないか、を一週間で決めろと言われた。既に私は大学の卒業に必要な単位は取り終えていた。関西初進出の新店舗のオープンから携われるなんて滅多にないことで、バイヤーを目指すのにいいチャンスだと思い、大阪行きを決意した。200710月大阪・心斎橋に引っ越して正社員と同じように勤務していた。働き始めて約1カ月半経った頃、社長からのセクハラに遭い、その5日後今度は店長からセクハラに遭ってしまった。突然のことで、しかも短い期間で2人からセクハラに遭うなんて…社長と店長はグルなのかもしれないと思った。それが複数回続いた。どうしたらよいか分からず、結局体調を崩していき、20083月に退社の決意をしました。セクハラがあったことを会社側に伝えると、生活費やなどは私が社会復帰できるまで補償する、医療費も支払うということで、正式に退社をしたが、会社側は全く約束を守りませんでした。現在私はPTSDによって働くこともできず、毎日、頭痛や胃痛、身体の痛みなど様々な症状に耐えながら生活しています。この苦しみは、被告にはわからないだろうと思うと本当に憤りを感じます。

2.裁判の状況
2010
3月訴訟を起こしてから、1年半以上が経ちました。証拠書類は、原告側は約40ページもの陳述書以外にもいくつか提出していますが、被告側はほんの数ページの陳述書のみです。20116月と7月に行われた証人尋問では、被告は「覚えていない」「記憶にない」ばかり。それどころか、「男だったらヤルでしょう」というようなとんでもない発言や、法廷で声を上げるなど、ひどい様子でした。


彼女は勇気があります。実名も顔も出しています。しかし、この記者会見で「もう生きていたくない」とも言っています。司法の判断は、「イヤなら逃げ出せばいい」から一歩もでていません。このタイトルにもあるように、正社員の職に就ける女性がどれだけいるでしょうか。多くに非正規の労働者が、「次回は更新しない」と使用者に言われるのではないか、正社員も「クビ」と言われるのではないかと戦々恐々の中で、権利を主張しないで働いています。

裁判官って、どういう思考の人なのか分かりませんが、冒頭に書いたことと相通じるものがあると思いませんか?

http://www.ustream.tv/recorded/20175988

ではきょうはここまで

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