参議院選は予想通りの結果でした。もうとっくに過去のことのようですが、まだ一月たっていないのですね。暑い夏に、思考が止まったような結果でした。

今日は敗戦記念日です。今朝の朝日の社説にサザンオールスターズの「ピースとハイライト」の歌詞、
『何気なく観たニュースでお隣の人が怒っていた/今までどんなに対話(はな)してもそれぞれの主張は変わらない/教科書は現代史をやる前に時間切れ/そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?』
が引用されていました。えっ!何気なく観たテレビにお隣の人が写っていたの?と一瞬思いましたが、お隣とは、朝鮮半島や中国、お隣の範囲を広げればアジアの意味だったと直ぐに勘違いに気が付きました。けれど、この歌詞にあるように、現代史を学んでいなければ、疑問のままかもしれません。

以前のブログに、ジェンダーに関する、学校だけにはとどまらない教育について書きましたが、今回は、この歌詞に触発されて、思い出したことを書きます。

一年は52週。高校での一単位とは、35週分を学ぶということ、これが最低履修単位です。一週1時間(50分)、35週分学んで1単位。週に3回授業のある科目なら3単位です。世界史や日本史は普通科では大抵4単位、即ち週4回時間割に出てくることです。世界史は必修科目ですが、日本史は選択科目ではありません。
日本史は、地理とどちらかを選択履修するので、日本史を学ばない生徒もいます。日本史を必修にするべきとの根強い声もありますが、昨今の日本の内向きな政治を思うと、世界史を必修にしたことは正しいと思っています。
歌詞にある『
教科書は現代史をやる前に時間切れ』の
日本の現代史は世界史のなかで捉えられるべきものです

新学期の準備期間中に、その教科を担当する教員が集まって何度も、1年間の授業展開につて相談します。

歌詞にある「現代史の前に時間切れ」には二つの点で考えるべきです。一つは大学入試、もう一つは単なる時間切れです。

大学入試に出題される事項は、学術的に定義が定まっていることが前提ですから、そこに?は入りこむ余地がありません。「従軍慰安婦の証拠はない」とか、「侵略の定義はない」とかを、ほぼ独裁的になってきた現政権が主張している昨今では、出題されることはありません。現代史を学ぶときに、単なる事実の羅列に終始してしまうのは、この辺の影響もあります。現に「従軍慰安婦」という記述は、教科者から消えてしましました。以前の教科書には載っていた事項がなくなったことの背景を考えるのも、意味深い授業展開が出来ると思いますが、どうも私が現職であった頃よりはずっと監視の目が入っているようです。大阪や東京よりはずっとましな滋賀県だろうとは思いますが、危ういところにいるのでは?まして、従軍慰安婦の記述のない教科書で学んできた人が先生になれば、言葉を知っていても、その記述がなぜ削除されたのかを生徒に敢えて伝えることはしないでしょう。「貧困は連鎖する」と言いますが、「教育も連鎖」します。教育は、すぐに影響が出ることはありませんが、それ故、人格に深く浸透して、消し去ることの難しいものです。

福島原発事故でも、この国の方向が転換されなかったのも、明治以降の教育の成果?だと私は思っています。勿論、ジェンダーもです。

酷暑の8月!ブログ、なかなか更新しないにもかかわらず、しばらく夏季休暇といたします。

では、今日はここまで