嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

2013年10月

労働者としての教師ー日本とドイツの一例

今回も教育から。

ドイツの小学校に通う小学生の話しです。この小学生の担任が3日間の病欠だそうで、メールが来た時点では3日目でした。先生のお休み、これはどこにでもある話しですが、ここからが日本と異なります。

そのクラス児童は、他の5つのクラスに振り分けられました。他の5つのクラスには当然担任がいます。そのクラスの担任が、振り分けられた子どもたちの面倒を見るというのなら、まあ分からなくはありません。日本なら、まず他のクラスに振り分けしないで、教頭とかのフリーの先生が勉強を教えます。

で、ここからが全く理解できないことなのですが、振り分けられた子どもたちは、振り分け先のクラスの先生の授業を受けるのではなく、同じ教室でプリント学習をするのだそうです。同じ学年だから同じ教科書です。でも教室の前で教えている先生はあくまで自分の担任しているクラスの子どもだけを教えている。振り分け先の元々のクラスの子どもたちは4時間授業、で、自習している子どもたちはプリントが出来次第の3時間で帰宅。
前回、日本の小学校の運動会における高学年の子どもたちの一糸乱れぬといってもいいほどの団体競技について、それが行き過ぎた場合の怖さを書きましたが、さすがにドイツのこの例に、こんなばらばらでいいのだろうかとの感想を持ちました。他のクラスに振り分けられたこの小学生は、そこで初めて、自分の習っている先生との進度が違っていることに気が付いたそうです。日本で言えば、掛け算をしているクラスと、まだ九九も暗唱できていないクラスのような例えでしょうか。

この小学生が日本の小学校に通っていたときの担任は新人でした。でも、絶えず学習の進度や教え方についての学年会議があり、新人の先生のクラスの子どもたちが特に進度が遅れるということはありません。画一的というのを嫌うことはとても大切だと思いますが、ドイツのこの例に関してはどう考えればいいのでしょうか?労働者である教師という観点からは、病欠した同僚のクラスの子どもたちの面倒をみるのは「契約以上の労働」になるとの考えなのでしょうか?いつも労働者の側に立たねばと言っている私ですが、理解に苦しむ内容です。

後日談で、この小学生の担任はさらに3日間の病欠だそうで、後半の3日間は他の学年の先生がクラスに入られるとのことですが、勉強は教えないそうです。やはり、教師の労働者としての問題のようですね。

そこで、教師の労働とはどのように定義されているのか、ILOの条約で調べてみました。この小学生の親は、日本の教育とドイツの教育を知っているから、日本を基準にして「なんで他の先生がカバーしないの」と思ったようですが、ドイツの教育しか知らない親は、これが当たり前かもしれませんから。
ILOは国際労働機関、ユネスコは国際連合教育科学文化機関、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization U.N.E.S.C.O.の略で、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関。この両者が共同で「教員の地位に関する勧告」(ILO・ユネスコ勧告)を作成して、1966年に採択されています。
この勧告で重要な点は、これが条約でもないにもかかわらず、監視機関として<「勧告」の適用に関するILO・UNESCO共同専門委員会>という組織が設立されていることにあります。日本の教職員組合は2005年に、この監視機関に申し立て『日本の教職員の労働実態と健康への影響について』(全日本教職員組合)を行い、この監視機関は、日本政府に「改善のための勧告」を出しています。(日本政府への勧告は労働時間だけに限らず多岐にわたります)ただ、この申し立てが約10年前なので、新しいデーターが使用されている
東京学芸大学紀要2013年<教員ストレスに影響する要因の検討─ 学校教員の労働環境と意識─佐野秀樹・蒲原千尋の論文から一部抜粋の形で引用させてもらいました。
読んでみようと根気(勇気)のある人は「続きを読む」をどうぞ。これを読むと、ドイツの小学校の病欠の先生の例よりも、なんでも引き受けてしまう日本の教師の方が少数派なのかも知れないという気もします。

滋賀県の嘉田知事が「小泉元首相の反原発の意見を歓迎する。また、教育に政治が介入してはいけない。学力テストの公表には反対する。政治家の役割は教育の環境を整えることにある」というようなことを述べたと新聞で読みました。
ぶれない知事で一安心です。
では、今日はここまで。


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小学校の運動会に思う。

縁あって近所の小学校の運動会を見学しました。

最後の職場であった高校は、この小学校と隣接していましたので、二学期が始まると、運動場で毎日練習が行われ、6学年が入れ替わり立ち替わりし、運動会当日が近づいてくるに従い、練習も過熱しし、大音量の音楽と児童の掛け声、それに指示を出す先生の声は毎年の風物詩となっていました。こうなると、高校での授業はお手上げ。高校一年生の入る校舎からは、小学校の運動場が一望できるからです。炎天下の指揮をとる先生を見ながら、「高校の教師でよかった」と思っていました。

高学年ともなると、一糸乱れぬ団体競技(たまに動作緩慢な子もいますが、一所懸命はどの子も同じ)に保護者は拍手で讃えていました。で、相変わらず意地悪な私は、隊列を組んで、同じ方向を仰ぎ見る児童の視線の先に、日の丸の旗のないことに安堵していました。さらに右傾化が進んで、運動会にすら日の丸が登場するようになったら、先生方、同じ方向を仰ぎ見るような動作は止めてくださいね。

「仰ぎ見る先に旗があるのは、ちょっとやばくないですか?」って気の付いた先生が発言できるか甚だ心配です。その理由の一つは、教師は細部の一つ一つには向かい合う力があっても、日々の業務やそのこと自体に埋没してしまって、全体を見ることがなかなかできないからです。そういうことを出来るようにするには、教員が多忙ではダメなのです。たかが小学校の運動会を侮ることなかれ!世の中の変化はこういうところに萌芽するのです。

で、もう一つ。大阪市長の橋下さんの盟友の大阪府の中原教育長が、いよいよ本領を発揮しましたね。昨年の口パクは一校だけの話だったのですが、なんせ今は教育長。大阪府の教育を支配下に置きました。

新聞記事から一部抜粋です。

「大阪府教委が、入学式や卒業式で教職員が実際に君が代を起立斉唱しているか、管理職が目視で確認し、結果を報告するよう求める通知文を府立学校に出していたことが18日分かった。中原徹府教育長は府立高の校長時代、君が代斉唱時に教職員の口元の動きをチェックし、論議を呼んだ。今回も同様に口元を確認し、徹底を図る方針で、再び議論が起きる可能性がある。919日毎日新聞)


私ならどうするか、最後まで闘って処分をくらうか。でも何回か続くと懲戒解雇もあるし、そうなれば退職金はパアだし、悩ましい限りです。私は退職金も貰ったし、萌芽はあったtけど、ここまで厳しく監視されるなかったときに教員だったから、こんな呑気なことをほざいてられるのです。「思想のために死ぬな」という考えもあるから、「バカバカ」と言いつつ口をパクパクさせる手もあるし、等とあれこれ考えてしまいしたが、すぐに気が付きました。管理職の場所から、パクパクは見えても、聞こえない。私が考え付くようなことはすぐに見抜かれて、次の通知文には「教員、隣り合った者同士で口パク及び歌詞を確認すること」と書かれることでしょう。
「思想を強制してはいけません。大好きな人はいつでもどうぞ。でも、嫌いな人もいる。その人のことも尊重してください」が私の考えです。


今回は、完全に労働問題から外れましたが、今、解雇特区、派遣法の改悪、均等法改正の骨抜き等、労働者の人権はまったく顧みられない法案が着々と密やかに進められています。その報告もしなければと思っているのですが、これらのことを考えると吐き気がしてきて、なかなか取りかかれなく、つい、体験から書きやすい内容になってしまいます。
そう!こういう、「ややこしいことは考えんとこ」。これぞ、政財界の狙いなのでしょう。

では、今日はここまで。

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