嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

2014年08月

安倍政権の「2014国家再興戦略」(2014.6.24閣議決定)に、10の挑戦というものがあり、その一つに「担い手を生み出す〜女性の活躍推進と働き方改革」があります。具体的には以下です。

≪女性の更なる活躍促進≫

*学童保育の拡充

*女性就労に中立的な税・社会保障制度等の実現

≪働き方の改革≫

*働き過ぎ防止のための取り組み強化

*時間でなく成果で評価される制度の改革

*多様な正社員の普及・拡大

*予見可能性の高い紛争解決システムの構築

≪外国人材の活用≫

*外国人技能実習制度の見直し

*製造業おける海外子会社従業員の受け入れ

*介護分野における外国人留学生の活躍


各項目の中で、安倍政権が「女性の人権を真剣に考えているか」に注目して、「ジェンダー」に関係するものを取り上げます。
10の挑戦を書き写していて気が付いたのですが、「女性の活用」ではなく、「女性の活躍」に変わっています。「活用」の目線は上からですから、以前、政府がこの言葉を使ったとき、即違和感を持ちました。所詮、男性議員の感覚はこんなもん、言い換えれば素直な表現とも言えますが、さすがにまずいと思ったのでしょうか?「活躍」になっています。
なぜ安倍政権が「女性の活躍」を謳いだしたか、それは女性の地位が、136カ国中105位で(「世界経済フォーラム」WEF・本部スイスが毎年発表している男女平等度評価。2013)、国際人権規約委員会、女性差別撤廃委員会、ILO等から何度も是正勧告を受けているから、せめて名目だけでも取り繕っておかねば、も理由の一つでしょう。

まず、≪女性の更なる活躍促進≫のための、【時間でなく成果で評価される制度の改革】と【多様な正社員の普及・拡大】と【外国人技能実習制度の見直し】と【介護分野における外国人留学生の活躍】を関連付けます。

安倍さんは、「新たな労働時間制度」は、労働時間ではなく、成果で評価される働き方だから、労働時間を自分でコントロールできる。だから、ワーク&バランスが両立でき易くなり、出産や子育てで女性は仕事を辞めなくてもいい。よって、女性の活躍に繋がる、と言っています。この改革は、結果的に「企業は残業代を支払わない」ということですから、『残業ゼロ法案』とも言われています。


 aの成果主義には沢山の問題点もあり、また成果を計れない職種もあります。子育てや家事を担うのは「女性」という意識は、現に存在しているのだから、仕事と家庭を両立できる仕事があればいいでしょう!転勤はありません。残業もありません。このような働き方のできる「限定正社員制度」は如何でしょうか?これが【多様な正社員の普及・拡大】です。これが含む問題点は多々ありますが、これは次回に。


c 今、再就職したいが、家事や介護で就労できないという女性が
220万人います。a・bの政策でも働くことのできない女性たちに、【外国人技能実習制度の見直し】と【介護分野における外国人留学生の活躍】を活用すれば、働くことができると言うのがこの政策です。【外国人技能実習制度の見直し】と【介護分野における外国人留学生の活躍】は突き詰めると、介護の問題に行き着きますので、先に育児と仕事の両立を考えます。2010年の統計でシングルマザーは108万人です。220万人と108万人の重なりが何人になるかは、これらの数字だけでは分かりませんが、果たしてこの政策が現実のものとなるでしょうか。このブログを書くきっかけになった卒業生は、今年度中に50歳になります。調査時点で68%の人が非正規でした。当時、仕事をしたいけれど、上述のような理由で、できなかった人が今、再就職をしていると仮定すれば、正社員で再就職できるのは奇跡のような年齢ですから、76%の女性が非正規で働いていることになります。これは、現実とそう外れた数字ではないと思っています。

家事と育児で仕事を辞めざるを得なかった女性が働ける環境は、外国人家事労働者の手を借りましょう!地域をしぼって規制を緩める「
国家戦略特区」で、掃除や洗濯など家事の負担を減らして女性の就労を促すための外国人家事労働者を家事サービスの分野で受け入れる政策です。これが、女性の活躍に繋がるでしょうか?家事と育児で仕事を辞めた女性が再び働くために、外国人家事労働者を雇用することが可能でしょうか?いったん仕事を辞めた女性は、非正規の仕事しか見つけられないのは、厳然たる事実です。非正規で働くために、外国人に家事をしてもらう、こんな図になります。一体、いくらの賃金額を外国人家事労働者に支払えというのでしょうか?さらに、外国から家事労働者として働きに来る人たちの抱える問題点も多々あります。【外国人技能実習制度の見直し】と【介護分野における外国人留学生の活躍】は、外国人家事労働者受け入れに緊密に関連しています。これらの政策の問題点は、このブログが長くなるので、外国人家事労働者の問題点と併せて次回にします。

なぜ、政府は、女性も男性も共にワーク&バランスを享受できるような政策を取らないで、小手先だけなのでしょうか?それは、心底女性に活躍して貰いたいとは思っていないからです。

小手先だけと思える事例をさらに紹介します。家事や育児で外に出られないひとり親に対し、「ひとり親家庭等の在宅就業支援事業」というものがあります。厚労省管轄です。大阪でシングルマザーの相談所を開設している女性がこの事業について説明してくれました。今年71日に持たれたこの事業についての評価検討会の内容については、ネットで検索できます。ネットで調べると、在宅で就労しているひとり親の59.3%は、月収5000円以下と出ています。この事業のために投じられている予算は約200億円。本来なら保育園充実や待機児童解消のために使われるべき「安心こども基金」から捻出しているそうです。では、この200億円はどこに使われているのでしょうか?それは、ひとり親が就労するためにスキルを学ぶ、例えばニチイ学館のような養成機関に支払われます。ネットで検索すればIT関連養成機関の名前が次々と出てきます。外国人家事労働者の受け入れと同様、この政策も女性が望む方向とずれていますよね。月収5000円以下(平均16367)の親に直接支給した方がよほど効果があると思うのですが…。結局、安倍さんの経済政策は企業の方を向いていると言えるのです。

では、今日はここまで。

暑いですね。この時期、毎年同じ言葉で始まります。 

今回も、何度も書きかけては止まっています。日本の労働者の実態は、相変わらず基本的人権を軽視した延長線上にあるので、喜ばしく、特筆すべき事項は何もないのです。よって書きかけては止まっているのは、労働問題ではなく、イスラエルとガザの戦いです。これは新聞でもTVでも報道されていますが、私は世界史も担当していたので、マスコミの報道に疑問を持っていました。
停戦を破ったのはパレスティナを支配しているハマスと報じられていますが、本当なのだろうか?
浜辺で遊んでいた子どもたちが殺されたのは、本当に誤爆なのか?
イスラエルの戦闘理由は、三人のイスラエルの少年がハマスに殺されたことがきっかけなのか?それにしては、ガザの死者は1900人、負傷者は約10000人なのはどう考えればいいのか?
イスラエルの本当の狙いは何か?

マスコミが報じない情報を、京都大学の岡真理教授が、毎日、ガザに住む人やその関係者から届くメールを日本語に翻訳して配信されています。私は、配信されたメールを、その都度プリントしていますが、分厚い量になりました。今日は、3日間の停戦の3日目。どうも合意には至らないと報じられています。そうなれば、戦争は再開されるでしょう。誰もが、実に無力です。

オバマ大統領は「ハマスに武器を捨てよ」と言ったとTVで報じていました。この言葉からは、「悪いのはハマス」と言っているようにみえます。欧米の報道は、イスラエル寄りです。勿論、アメリカと同盟国の日本もです。オバマ大統領の言葉を素直に聞けないのは、アメリカとイスラエルは一心同体の関係であるからです。アメリカは、イスラエルに2008年以降、軍事援助や兵器を180億ドル(100円換算で1兆8000億円)以上を供与しています。

1947年に建国されたイスラエルは、今の地ではなく、イギリスかアメリカのどこかに建国されるべきだったのでは?建国当時、これほどの状況を誰が想像したしょうか?イスラエル建国に関しての背景は、第一次世界大戦中のイギリスの秘密外交です。検索してみてください。

今回のイスラエルの目的は、ガザをイスラエルに併合することのようです。そのためには、ガザの人々は全滅しても構わないと思っているイスラエルのネタニヤフ首相の側近が発表した声明の解説()を下記に貼り付けます。
その後、最新のガザから届いた学生のメール()を紹介します。
2つの記事とも岡さんが翻訳して配信されました。岡さんの配信を読みたい人は、このブログのコメント欄にその旨書いてください。アドレスも。個人情報は公表しません。
私は、戦争とは常にBの視点で語られるべきと思っています。イスラエルの若者が、「パレスティナ人は皆テロリストだ。皆殺しにせよ」と叫んでいる場面をTVで見ました。こういう状態にならないために、Bの視点を抜きにした安倍首相の集団的自衛権の説明は、警戒するべきと考えています。

Aの声明を書いたのは、イスラエル国会の副議長を務めるモシェ・フェイグリン。フェイグリンは、ネタニヤフ首相と同じリクード党の出身。2012年の同党の党首選挙でネタニヤフと争いました(得票率23%)。この声明はネタニヤフ首相に宛てたものです。

 

Aの声明を発見し、公表したのは、パレスチナ系アメリカ人のジャーナリストのアリー・アブーニウマ。

アリー・アブーニウマの解説。

【国民の支持を得るために、極右政治家たちは、ガザのパレスチナ人に対する思想の過激さを競い合っている。

フェイグリンの声明、8月1日。
「ガザ全土の征服と全戦闘勢力とその支持者の殲滅」を。「これは我々の国だ――我々だけの国だ、ガザも含めて」


フェイグリンの声明。

≪イスラエル軍は「海に面する、シナイ半島との境界に一定の空き地地区を設けなければならない。そこに民間人を集中的に集める。そこはロケット弾の発射やトンネルなどに使われるような建物が建て込んだ地区から遠く離れたところに。これらのエリアには、適切な移住先が決まるまで、テントの野営地が設けられる」。≫


アリー・アブーニウマの解説。

パレスチナ人民間人が「集中的に集められた」「テントの野営地」とは単純に言えば「強制収容所」である。


フェイグリンの声明。

≪「かつて人口が集中していた地区への電気と水の供給は切断される」「かつて人口が集中していたエリア」を最大級の火器で砲撃することを呼びかける。ハマースの民間インフラと軍事インフラのすべて、通信や兵站の手段もその土台に至るまで、すべて破壊する。」イスラエル軍はそれから、「レジスタンスの巣を絶滅する。もし、残っているならば。」

 

B:ルバ・サリービー:彼女はガザ・アズハル大学の21歳になる学生。ガザ地区北部にあるジャバリヤ難民キャンプに住んでいます。

 2014年8月6日/本当に、話を聞くのと、自分がその出来事の一部になるのとでは、ぜんぜん違う。戦争のあいだ、私たちは、死にさらされたり、死を逃れたりした人たちのたくさんの話を聞いた。なかでもシュジャイヤの虐殺はその最大の例。私たちは死ぬまいと走っている人々の姿を目にした。あるいは、死を逃れることができなかった人たちの姿も。

 

人がこんな恐怖を実際に生きているなんて、私にはほとんど信じられなかった。ある意味、ガザの誰もが、自分は攻撃目標ではない、と思っている。あるいは、そう思い込もうとしている。私たちは、なぜ自分たちだけは死なずに絶対にこれを生き延びるのか、その思いつく理由を100万くらい数え上げようとする。私たちがしがみついて放さない、この、生き残るわずかなチャンスは、どの人の中にも存在する。イスラエルの戦車隊が私の家からどれだけ離れているか、私はひそかに計測を始める。私たちの地区の地図を頭に思い描いて、私と、いちばん遠い戦車のあいだにあるすべての通りを思い出す。迫撃砲がどれくらの距離まで届くものか、グーグルで調べてもみた。皮肉なことに、その翌日、迫撃砲が我が家の隣の家を直撃した。だから、迫撃砲の飛距離の答えは、「我が家に届くに十分なくらい」ということになる。

 

また、時には生き残る理由を探すのを諦めて、いやなシナリオばかり想像したこともある。中でも最悪なのは死ぬこと。でも、死ぬのは痛いことじゃない、ほんの一瞬ですべてが終わっているのだから、と自分を慰めようとする。私の頭はいつも、そんなことでいっぱい。ほぼ30日間ずっと、「分からない」という状態のなかで生きている。毎日、午後8時、夜の闇が下りはじめると、今晩はいったいどんな夜になるのだろうと、私たちは考え始める。空を見上げて、戦闘機がいくつ飛んでいるか推し量る。その音に注意深く耳を澄まし、どれくらい近いか推し量る。戦闘機の数が多ければ多いほど、その音が大きければ大きいほど、その晩はより恐ろしいものになる。イスラエルのF16が攻撃目標を叩くため、ものすごい低空を飛ぶとき、心臓がバクバクする。私たちは、ロケットから発射された光を目で追う。そして神に祈る、私たちの家に当たりませんように、と。時々、遠くのロケットの音がどんどん近づいてくるのが聞こえる。私たちは目を閉じる。爆発音が聞こえるまで。爆発音が聞こえたということは、私たちはまだ生きているということ。

 

私たちは、とっても過酷ないくつもの夜を過ごした。どれも一生、忘れられない夜。ひとつは、イードの2日目。4つの家族が、激しく砲撃されている地区にある自宅を逃れて、私たちの家に避難した。一部屋に50人近くが集まって、私たちは目をさましたまま、怯えていた。その晩、私たちは、あらゆる種類の砲撃を聞くことができた。私たち

はみな、トラウマに陥り、一言も口がきけなかった。私たちが待ち望んだものはただ一つ、太陽の光。というのも、日中だと砲撃もなぜか、それほど怖くはないから。夜の8時から朝5時までのあいだは、一秒一秒が何十年にも感じる。

 

時間は、このような日々では、決定的に重要なもの。ときどき、時間だけがすべて、ということもある。私の弟は、この戦争はいつ終わるのと訊ねてばかりいる。父に、今何時と訊ねることもある。うちの地区にあるある家に警告用のミサイルが撃ち込まれた。攻撃目標になっている家が完全に破壊される前に、その地区の者たちに避難せよ、という命令だ。2人の年輩の男性と一人の女性が生き延びることが出来なかった。なぜならその3分後に家が爆撃されたから。二人の老人は家から離れようと、できるだけ速く歩こうとしていたのに。3分では足りなかった。シュジャイヤの虐殺のあと、赤十字が負傷者を搬送できるよう2時間の停戦になったけれど、2時間では足りなかった。瓦礫の

下から彼ら全員を引っ張り出すなんてできない。そして時間は、いくつかの魂を救うには足りなかった。この29日間の戦争が、私には29年にも思える。

 

8月4日、午前3時30分という時間を私は忘れられない。姉と私は自宅の2階で同じベッドで眠っていた。戦争が始まったときから、私たちは一緒に眠るようになった。父、母、妹、弟は1階で寝ている。砲撃があったのを覚えている。私は、注意を払うまいと思い、眠ろうした。でも、長くは続かなかった。突然、自分たちの家の中だと思うくらいすぐ近くで空爆の音がして、私たちは、目を覚ました。続いて、何人かの男たちが助けを求めて泣き叫ぶ声。100万もの考えが脳裏にあふれる。どうしたらいいのか分からなかった。私たちはその空襲が何だったのか見るために、バルコニーに駆けつけたが、私たちに聞こえたのは、1人の男性が通りを走りながら、苦しみに泣き叫ぶ声だった。二人の隣人も何が起こっているのか見るために外に出て来た。母と父は急いで玄関に行った。

 

私たちがそこに立っているとその数秒後、2発目の爆弾が私たちの目の前を通って、隣の家の正面に落ちた。そのとき私が思ったのは、玄関に立っている父と母のことだった。叫んでいた者たち全員が静かになった。何の音もしなかった。姉と私は「お父さん」と一斉に叫んだ。どうやって階下に下りたのか分からない。でも、父と母がまだ生きているのを目にすると、私たちは床に倒れ込んでしまった。息をすることも話すこともできなくて。私たちはただ、ショックを受けていた。空襲は、通りで泣いていた男性を狙ったものだった。

 

男性は亡くなった。隣人の3人が負傷し、通り一面に血が流れていた。自分の目の前で誰かが死ぬのを目にするのは初めてだった。ほんの1分前には助けを求めて泣き叫んでいたのに。両親が怪我して、あるいは死んで、床に横たわっているのを目にしていた可能性だってあった。そう考えただけで、息ができなくなる。一瞬のあいだ、何もかもが夢のように思えてくる。誰かを亡くすという考えに、私は泣いていた。でも、それから、この殉難者の母親は、息子の身に起きたのかも分からないのだという考えに、私は打たれた。亡くなったのが私の家族ではないということは、誰かほかの人が愛する誰かを亡くしたということ。目から涙が溢れた。彼のお母さんが気の毒で。

 

では、今日はここまで

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