今冬の寒さは厳しいそうです。南半球のラニーニャ現象の影響だとか。TPPに参加すべきか否かも日本の思惑を超えたところの要因で決まるのでしょう。「TPPは純粋な貿易問題ではない」(朝日新聞20111113日朝刊)とありますが、今読んでいる『バクダッド・バーニング、イラク女性の占領日記』(アートン2004)からも、アメリカがイラクを攻撃した真の意図が見て取れます。これについは、またどこかで紹介したいと思っています。


日本の女性の地位は相変わらず最低です。次の文は「ギャップ」についてです。即ち格差です。だから例えば経済で日本より豊かでない国でも、格差が小さければ上位です。

世界経済フォーラム(WEF)は、1012日、2010年のジェンダー・ギャップ指標の報告を公表しました。ジェンダー・ギャップ指標は経済、政治、健康、教育の4つの分野で男女間の格差を表したものです。経済の分野では、参加、報酬、昇進などの格差、教育では、初等、中等、高等教育における格差、健康では、出生児の男女比、平均寿命の差、政治の分野では政治的な意思決定の場における男女の格差が取りあげられています。


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位のアイスランドから7位のデンマークまでは09年と変わらず、上位を主に北欧諸国が占めました。世界的に見て、健康と教育の分野での格差は縮小していますが、政治と経済の分野の格差の縮小が進んでいないことが指摘されています。
日本は、09年の報告では、75位とされていましたが、後に101位に修正されました。10年には、94とわずかに上昇しています。報告は、経済の分野で女性の報酬にわずかな増加があったこと、国会議員の数の増加などを理由にあげています。一方、日本と104位の韓国がOECD諸国の中で最も低いことも指摘しています。

アジアでは、フィリピンが9位と09年と変わらず、スリランカが16位でした。他の地域では、フランスが、閣僚の女性の割合の低下など政治の分野での格差の拡大により、18位から46位と大きく後退し、一方、米国が経済や政治の分野での参加の拡大、教育での格差の縮小などにより31位から19位に上がり、この指標が2006年に始まって以来、初めて上位20位に入りました。
出所:The Global Gender Gap Report 2010 (WEF) 
http://www.weforum.org/en/Communities/Women%20Leaders%20and%20Gender%20Parity/GenderGapNetwork/index.htm



この情報は私が参加しているWWNのMLから得ました。上記のサイトは「ヒューライツ大阪(財団法人アジア・太平洋人権情報センター)がHPに載せたものです。これに対し、


日本で順位が低いのはいつもの事ですが韓国が107位というのは納得できない気がします。その理由は 東洋経済「女性はなぜ出世しないのか」1015号で、韓国では外交官試験で女性合格者は60%、国家公務員試験、司法試験合格者は50%に迫る勢い。(2010年)と書かれているのです。1996年公務員でのポジティブ・アクションが導入され女性採用枠が高められたとあります。結果が出るのはこれからなのでしょうか。 ともかく数年先の韓国と日本の違いは歴然としたものになりそうです。】という投稿がありました。

日本の女性の状況を最も知らないのが、当の日本の女性だと思います。その典型的な裁判の和解の報告をします。
原告の松田さんは、結構有名な会社<川島織物セルコン>で営業の仕事をしてこられました。川島織物セルコンの壁紙は最高裁の法廷にも貼られているそうです。先日京都のデパートの呉服売り場で見た高価な帯は川島織物の製品でした。原告の松田さんが最初に働いたのは内装工事の会社で、小さな会社でした。現在の社名は川島織物セルコンですが、吸収合併されて現在の社名になりました。最初の34ヶ月は事務の仕事でしたが、その後は社内でただ一人の女性営業職として男性の営業職と同等の職務についてきました。松田さんが賃金に疑問を持ったのは、この会社が現在の川島織物セルコンに吸収合併されるに当たり、人事制度の見直しをしたからです。松田さんの賃金ランクは、入社12年の男性社員のランクでした。また退職金制度の廃止にあたって示された退職金は勤続17年で、 2,468900円という低額でした。彼女は悩んだ結果、平成2039日、人事部長に説明を求めました。人事部長は彼女の賃金について「総合職と地域限定に分かれていまして、女性の場合は地域限定職、いわゆる一般事務の方がそうです。だから松田さんの場合、一般事務職の賃金です」と答えました。また、松田さんが「私は営業職です」と言うと、人事部長は「女性の営業職はありませんし、女性の営業もいません」と回答し、その後の社長との直談判でも退職金が低いことを含めて人事部長と同じ回答でした。(松田さんの仕事を全否定しています。)


その後の執拗な退職勧奨に松田さんは「会社は、
私が辞めるというまで退職勧奨は続くと言いました。合併しても何ら変わらず、もはやこの組織の中では何を言っても無駄なんだと思い知らされると同時に、権力の前にあまりにも無力である自分が一人で立ち向かうことの困難さに、退職勧奨を受け入れ退職しました。もうこれ以上、何も失うものなどないと思うに至り、裁判という選択をしました。」と語っています。

長くなったので、中断します。和解内容は次のブログで見てください。

では、きょうはここまで。