本来は、517日に出された国連社会権規約委員会からの「日本に対する第3回総括所見」のことと、これに対しての関係各省庁の官僚と意見交換をしたことを書くべきなのですが、思うこと多々あるので、先にこちらから。「嶋川版徒然なるままに」です。厚かましいに「度」が付きますね。

自己実現という言葉があります。私の課題でもある女性の労働問題についても、「女性はなぜ外で働きたがるのか?」の問いに、「自己実現のため」と答えている文章をよく目にします。しかし、私は、卒業生の話を聞いて、「自己実現よりも自己表現」ではないかと考えています。「自己実現のための自己表現」「自己実現しても自己表現」。

しかし、自己実現って、簡単に言ったり書いたりしますが、考えてみると意味のわからない言葉です。「自己を実現する!ウン?」
「表現する」というのは、他との関わりの上に成り立つ言葉です。山奥の私(orあなた)しかいないところで一人で暮らしていても、日記を書いたり、ぶつぶつ言ったり、何かしら自分を表現していると思いませんか?
自己実現は、あくまで個人の問題のような印象を持ちます。

だから、「表現の自由」は基本的人権の内の重要な一つであり、今の憲法では、曲がりなりにも保障されています。参議院選の結果、憲法改正(私は改悪と思っています)になって、表現の自由が制限されることになる可能性も否定できません。そのときのために、庶民は思っていることを、井戸端会議でも、投書でも、いろんな方法でしておく必要があります。日常、表現をしておかないと、それが制限されたときの比較ができなくなりますから。しかし、表現するのは、書くにしろ、言葉にして言うにしろ難しい。表現のために必要な言葉はどれか?何を表現するのか?

twitterは140字で表現します。最近は番組の最中にどんどんtwitterが流れます。天気予報の放映中には、「明日、天気になるといいな」とかです。私はその都度違和感を持ちます。そんなことわざわざつぶやかなくてもいいのに、投稿しなくてもいいのにと。140字で表現できることって、とても表面的なことだと思うんです。必要なことを、的確な言葉で表現するには140字は短すぎます。

なぜ、このようなことを書いたかというと、安倍首相のfacebookの記事を新聞で見たからです。

まずの感想は、あんなに忙しいのに、よく書く時間があるなぁ!です。

次に、首相が、沈思黙考の上、書いているか、に対する疑問です。「左翼の人たち」と、いとも簡単に、安倍さんの意見に反対の意を表明した人たちを一括りにしています。私のこのブログですら、言葉の定義は調べてから書きます。首相の演説に反対表明をした聴衆者一人1人に、「あなた左翼ですか」って聞いて回ったのでしょうか。そもそも、左翼の人ってどんな考えの人を言うの?
(左翼、右翼の言葉の発生はフランス革命で勉強しましたよ〜!)

表現の自由を自分のものにするには、まず表現してみる。これが最初の一歩ですが、首相の言葉は、いくらfacebookとはいえ、個人ではない、政治家の、それも最も権力のある人の言葉です。軽々し過ぎです。軽いから、いくらでも書ける。どんどん投稿できるから、内容を精査しない。一方的な攻撃の言葉もしばしば見られる首相のfacebookは、靖国参拝に「個人として来ました」と言っているのと根底は同じだと思います。翻って私、このブログの内容は、別に書かなくてもいいのでは?はい、ごもっともです。

 

めげずに、書き続けましょう。私は名もなく、権力もないからね。

*先週のことです。植木に水遣りをするまでは、毎金曜日の反原発関電前集会に行かなければ、と思っていたのに、気が付いたらとっくに終わっていた時間でした。東京の商社9条の会のメンバーは、顔触れは異なっても常時20人くらい集まり、彼女たち、所謂おばちゃんたちの存在は、結構若者にも良い刺激を与えているようだと聞きました。集会後のお喋りも楽しみとかで、私も仲間があれば、うっかり忘れたりはしないだろうに!関電大津支社前は、常時30人ほどはいますが、全く個人で参加しているのは少数です。私は個人で参加しているので、いつも終わるとさっさと帰ってしまいます。でも、最大のショックは「忘れた」とうことです。これは、私の中で「原発」の存在が薄れてきた証ではないでしょうか。やれやれ!東電が新潟にある柏崎刈羽原発の再稼働を申請するとか、関電が大飯原発の下に活断層があると指摘されていることに、「活断層ではない」との調査結果を規制委員会に提出したとか、忘れている場合ではないのに…。私が集会人参加するのは、表現の一方法です。

*「女性の活用」という言葉。

今まで、「女性の活用」の言葉を使ってきましたが、使いつつ違和感がありました。でも、ぴったりくる表現が思い付かなかったので、「女性の活用」と言ってきました。しかし、安倍さんが言うと、なんか嘘くさい感じで、「登用して活躍できない女性はダメ!」とも言われているようにも聞こえます。生活保護受給者へのバッシングにも繋がっているような感じです。女性の活用の前提は、男女平等です。今後「女性の活用」の代わりに、何と称しましょうか?しばらく考えます。ふさわしい言葉があれば教えてください。安倍さんのは「マネーを生むための人材活用」のように聞こえて仕方ありません。安倍さんの三本の矢の「女性の活用」については、次のサイトを見てください。

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20120507/124201/?bpnet

 

627日、冒頭に書いた参議院議員会館であった、各省庁との意見交換会に参加してきました。そこでの報告は、次回にする予定ですが、この会場でも、その後に行った連合での総合男女平等局長の話でも、なぜ女性の地位は低いままなのかの疑問は解けるどころか、ますます膨らみました。で、やはり私の思考は教育に行き着きます。

知り合いの葬儀に参列しました。予想に反して沢山の弔問客で、一般会葬者の席は、前方か親戚席の後方しかありませんでした。「前にお座りください」の係りの人の声に、「男の人が前に行ってもらって」と、私とそんな年齢の変わらない数人の女性。結局、彼女たちは、親戚席の後部に座りました。

お葬式の例は、私年代か、もう少し上の人たちです。この年齢は仕方ないね、ではないのです。
高校一年生になったばかりの5月、現代社会の授業でディスカッションをして貰いました。クラス40人、4人ずつの10チームがテーマについて話し合い、その結果を発表します。4人という単位は、机を持って90度回転させれば円卓会議状態にできるからです。また4人という単位は、発言しないでいるには少人数過ぎるからです。司会、記録、クラス全体の前での発表、要旨を黒板に書く(坂書)する担当と、お客さんではいられないという私が編み出した方法の最適人数なのです。最初にこの役割を決めて貰います。その結果、見事に同じような役割分担となります。司会と発表はほぼ男子生徒、記録と坂書はほぼ女子生徒です。中学校卒業から2カ月、この光景と、冒頭のお葬式の光景は、連綿と繋がっているのです。

これから、国連の社会権規約の所見と、雇用均等法を審議している審議会の意見書を読み比べてみます。その結果は次回に。
では、きょうはここまで。