嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

311日の東北大地震が起こった時間、今年、私は図書館にいました。館内放送があって黙祷しました。
反原発の集会が39日、膳所公園であり参加しました。集会で、福島相馬市から滋賀県に避難されている佐藤さんの話がありました。原発の爆発大事故の後、佐藤さんは小さい子どもを連れて最終的に滋賀に来られましたが、自主避難です。政府からの避難指示が出た地域から避難したのではなく、避難指示が出ていない地域からてんでばらばらに知り合いを頼って避難したのが自主避難です。この自主避難した人には、皆無と言っていいほど保障がされていません。要は、お上(かみ)の指示に従わなかった者は、お上の保護の対象にならないということだと思いました。後から後から出てくる事実。放射能を過小に見積もる政府の思惑通り、政府の言うことに疑問を持つ人は放射能に神経過敏になっていると非難され、科学的な根拠の不確かなものは、風評被害で一括りにしてしまう風潮に、福島の人たちは抗うことができない中に置かれているようです。憎むべきは原発推進を推し進め、絶対安全という神話を支えてきた政権、官僚、研究者、マスコミ、電力会社なのに、同じ被害者同士がいがみ合っているのが現状です。矛先が向かわないから、本来の責任者は安泰です。連帯するべき者を対立させているのでは?と疑ってしまいます。

毎週金曜日の関西電力前集会で、関電のビルに向かって「関電で働いている人、よう聞いてや。原発はあかんで。あんたら反省しなさい」のような言葉を発する人がいます。確かにそうなんだけど、違和感あります。今、関電ビルの中で、集会参加者の声を聞いている社員の中には、原発反対!と思っている人もいるだろう。でも、口に出したら職を失うかもしれない。福島で被災した人がお互いにいがみ合うような状況を、関電の社員と集会参加者との間で作ってはいけない。「関電で働いている人、集会の邪魔せんとい」くらいにしないと連帯はできません。福島から自主避難した人、福島に留まっている人、お互いに齟齬を生み出している状況を、ある高校生の家族を通して書いた記事を読みました。辛い内容ですが、状況をよく捉えている文章です。「続きを読む」に入れました。

さて、今日は、職務給と職能給の予定ですが、とんでもないことをドサクサまぎれに内閣がやってくれました。311日の東北大震災に人々が思いを寄せている日に、最悪といわれる労働者派遣法の改正(史上最悪)案が内閣で決定されたのです。閣議決定され、国会で審議されるという過程があっても、特定秘密保護法の国会採決で経験したように、与党は強硬なる手順で、いずれ法案は法になるでしょう。労働者派遣法は、当初の趣旨(そんなものがあったとは思えませんが…)どんどん変わってきています。

今回の大きな改悪点は、以下です。(ブルーは私の感想です)

企業が3年ごとに働き手を交代させれば、どんな仕事も、ずっと派遣に任せられるようになる。いまは秘書や通訳など「専門26業務」でない限り、3年までしか派遣労働者を使うことができなかった企業は、3年その仕事をしたAさんを解雇し、Bさんをその仕事に付けることができます。(今までは26業種以外は、3年以上その仕事をしていれば、Aさんを正社員にしなければなりませんでした。実際は違法だらけですけど)。また26業種も撤廃されます。永久に派遣労働者は派遣のままで、企業間をたらい回し状態で働くこととなる。→ある仕事を派遣労働者がずっとやってくれるのなら、正規労働者は必要なくなる。→but、その企業で、スキルアップした良質な労働者は少なくなるだろう。
人材派遣会社はすべて国の許可制にする。派遣労働者への教育訓練を義務づけ、待遇改善に向けた国の指導も強める。→派遣労働者が派遣先を解雇され、すぐに次の派遣先企業が見つからなかった場合、案では派遣元会社はその労働者を派遣元で雇いなさいとある。そんなコストのかかることを派遣元会社はしないから、教育なんかもしない。

労働者派遣法はどんどん企業側の都合に良いように変わってきていますし、ぱっと読んでだけでは何が問題点なのか直ぐには分からないような内容です。私はこう考えています。法の中身を変えるよりも、正社員よりも時給を2割増しにするというEUの方針を取り入れたらと思います。でもこれが最も難しいですね。正社員は、「パートは安くて当たり前」と信じ切っているし、パートもそう思っている人が多いから。

今年は、春闘に非正規労働者の賃上げも加わったと報道していました。スーパーを支えているのはパートの女性たちです。なぜ、日本のパートの賃金は、正社員に比べて安いのでしょうか?EUは日本よりは格差が少ないのでしょうか?それの手がかりが、職務と職能の考え方です。結論から言うと、日本の正社員は職能給といわれる賃金システムにいます。これからはチト眠たくなる内容だから、次回に回します。

では、今日はここまで。「続きを読む」もよろしく。

(この一歩 東日本大震災3年:2)ひずんだ家族、私はあきらめない 福島・楢葉2014年3月8日05時00分

    !写真・図版
    卒業式で卒業証書を受け取る矢代悠さん(左)=1日、福島県いわき市、小川智撮影

 あれから家族はふつうではなくなり、私はそれに慣れてしまった。両親の間の溝が決定的に深まったのは、震災の年の夏。暑い日だった。 4カ所目の避難先だった福島県郡山市のアパートで、泣き叫ぶ母(49)が父(51)をなじった。 「大丈夫って言ったのに、大丈夫じゃなかったじゃない」 父は言い返さなかった。

 何でこんなことになったんだろう。高校1年だった矢代悠(はるか)さん(18)はトイレにこもり、声が漏れないように泣いた。父は東京電力社員。自宅は福島第一原発の20キロ圏内、福島県楢葉町にあった。一家は原発事故で、震災の翌日から避難を迫られた。車で寝泊まりもした。父は事故の収束作業に呼び戻された。避難先の家に戻るのは月8日程度。細い体がさらに痩せ、ほおがこけた。母は知り合いから口々に「どう責任を取るの」「被害者面して」と言われ、携帯電話の電話帳から約30人の名前を消した。福島県いわき市に避難した祖母までが「おめえの旦那が東電のせいで、どれだけ世間体を悪くしてるか」と言った。母は泣いた。若いころ、東電の子会社に勤め、「安定している東電の人と結婚しなさい」という祖母の言葉通りの選択をしたのに。

 両親は会話を交わさなくなった。父からメールを受け取り、内容を母に伝える役割を悠さんが担った。

    *

 テレビニュースが「脱原発デモ」を映し出す。東京の電気をつくる原発がどこにあるかも知らなかったくせに。お父さんが頑張っていることは、誰も知ろうとしないのに。無責任じゃない?悠さんは父が責められているように感じて、腹が立った。でも、「父のことを話せば、軽蔑した目で見られるかも」と心配する自分もいた。高校でも父のことを深くは話せなかった。

 高2の夏。被災地の高校生300人を招くNPOや企業の企画で、米国に短期留学した。他の高校生や米国の学生とディスカッションを重ねるうち、度胸がついてくるのがわかった。

 帰国後、被災地の高校生が東北の課題を話し合う東京の集まりにも参加した。母を津波で失った宮城県の高校生の体験を聞き、決心した。「自分も言わなきゃ」。緊張で体が震えたけれど、みな泣きながら聞いてくれた。

 被災したからこそ得た機会が自分を強くしていた。「震災で減った観光客を呼び戻そう」。留学仲間の高校生が企画したいわき市を案内するバスツアーにも、スタッフとして加わった。悠さんは高2の春からいわき市に移り住んでいた。

 旅行会社の協力で昨年5月に始まったツアーは、第3弾まで実現した。悠さんは首都圏からの客に父が東電社員として収束作業に当たっていることを話した。そして、「私たちが楢葉町に住んでいたことを忘れないでください」と伝えた。

 抱きしめてくれる人、「お父さんたちは英雄だ」と言ってくれる人がいた。震災後はめったに笑わず、口数も減った父。その父が口に出せないことを、代わりに少しだけ言えた気がした。

    *

 母は今も祖母を許すことができない。「心穏やかになる日はない。私に実家はない」と言う。父は福島県第一原発4号機の核燃料取り出しに当たり、週末だけ帰宅する生活が続く。父母がそろっても、視線が交わることはない。

 悠さんは今月1日、高校を卒業した。4月から県内の大学で建築を学ぶ。「昔のように、家族でリビングに集まって仲良く話したい。でもどうすればいいのか、わからない」

 ただ、一つ考えていることがある。

 おばあちゃんに会いに行って話を聴こう。なぜお母さんにあんなことを言ったか、どんな気持ちなのか。家族の関係が変わるきっかけになるかもしれないから。今の私なら、向き合える自信がある。

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