なんで、大多数の庶民が願うような政治にならないのか?これが民主主義の一つ、選挙という方法で政治家を選ぶ難しさです。シリアでアサド大統領が再選されましたが、政府軍がコントロールしている地域だけでの圧勝でした。シリアも日本も、国民の願いが反映されているとは言えません。真の公正への追及は、人間の永遠の課題です。

矢継ぎ早に、念願というか、悲願の政策を打ち出す安倍首相へ、国民は何もかも付託したのでありません。でも、言いたい。こうなる結果は分かっていた。自民党に投票して、原発推進、特定秘密保護法は必要、集団的自衛権を行使のできる国に、労働者派遣法は改正(どうしても「正」という字に違和感あり)するべき、年収一千万円以上の人は残業代ゼロOK、地方教育行政法改正に賛成、とかとか…。そういう人以外、安倍首相の政策に異議ありの人で、自民党に投票した人は、後悔先に立たずの格言通りになってしまいました。

1992年にカンボジアへ、日本の自衛隊が派遣されたとき、私は自衛官の人権について勉強したことがありました。「海外(往々にして戦争中か戦後)へ行け」と命令があった時、果たして自衛官は「私は行きたくありません」と言えるでしょうか?という勉強会です。その後、周辺事態法という法律ができ、自衛官が「いやです」と言えるかどうかについては不勉強のままです。
で、今、集団的自衛権行使が浮上して来ました。賃金もらっているから労働者だし、「辞めます」は言えるはず。ただし、派遣(派兵)されるくらいの年代の人なら、退職金は少ないでしょう。最近、求人難と報道されているけど、非正規の仕事ばかり。転職は簡単にはいきません。まして、日本の労働者の立場は弱い。
東亜ペイント事件という、転勤を拒否した労働者が懲戒解雇になったことを争った裁判で、労働者が負けました。転勤命令もですが、もし集団的自衛権が成立し、派兵が決まったとすると、その命令をする権限のある人は誰か?という疑問よりも、命令をする人にその権限があるのかという疑問が出てきます。タイムリーな記事を見つけましたので、一部のみ紹介します。


≪終わりと始まり)死地への派遣 国家に権限はあるのか 池澤夏樹≫
201463日朝日新聞

 国家には選ばれた一部の国民を死地に派遣する権限があるのだろうか? 非常に危険率が高いとわかっているところへ送り込むことができるのだろうか? それが自衛のためだと言うならば、国の生存権と個人の生存権の関係についてはもっと議論が要る。 今の自衛隊員は憲法第九条があることを前提にこの特殊な職に就いたはずである。自衛のための出動はあるが(東日本大震災はその典型)、他国での戦闘はないと信じて応募した。 だとしたら彼らには次の安定した職を保証された上での転職の権利がある。そんなつもりではなかったと言う権利がある。戦場には殺される危険と同時に殺さなければならない危険もある。その心の傷はとても深い。あなたは見ず知らずの人間を殺せるか?

残業代ゼロ法案に反対している人の意見には、「労働者の合意を得れば…とあるが、労働者が経営者と対等である訳がない、他の労働者が全員合意した中で、一人だけNOということは難しい」というのがあります。集団的自衛権で派兵される自衛官と重なります。

いよいよ、外国人家事労働者を日本が受け入れるようです。今まで、日本は単純労働者を認めてきませんでした。少子化日本だから「来て貰ったらいいんじゃない!」と思っている人も多いでしょう?先日、外国人介護労働者の受け入れについてのシンポジウムが京都で開かれたので、参加しました。日本の労働者に直関連してくる問題提起がなされました。次回は、これについて書くつもりです。単純労働者=家事労働者というのが納得できませんし、これは単純労働者=家事労働者=介護労働者となる構図を予測させます。

では、今日はここまで。