嶋川センセの知っ得社会科ー女性のためのお仕事相談室ー

女性が働き続ける上での様々な情報を提供し、また仕事上の様々な問題を共に考えます。

カテゴリ: 教育

「ローマの教室で」というタイトルの映画を見ました。

舞台は公立高校、登場する高校生の学年は4年生。ついでに、イタリアの学制は、小学校が5年間(6〜10)、中学校が3年間(1113)、高等学校が5年間(1418)です。

映画に登場する学校は、特に秀才の集まっている学校ではないようで、年配の教師なんか「頭空っぽの生徒」とバカにしています。

朝一番に出勤するのは校長。一番にする仕事はトイレットペーパーの補給。

授業中の生徒の態度は、私の勤務していた学校の生徒より悪い。ヘッドフォンして小声で歌っている生徒、携帯電話している生徒、私服なので、露出的な服装の生徒もいます。

ストリーもさることながら、やはり教育そのものに関心が行くのは、習性のようです。

最も気になったのが、教室の設備です。

暫く登校しなかった生徒が教室に入って来る。この生徒は勉強が好きでなく、学校に来たくないと思っているのを、担任が説得して、ようやく教室に現れた。「先生!私の椅子がありませんので帰ります」「ちょっと待って、すぐに調達してくるから」と担任は事務担当のような職員のところへ。「余分な椅子はありませんか」「そういえばA組にありました」と事務員?らしき人とA組の教室へ。ところが、その教室の担任が「ダメです。この椅子を手に入れるのに私は2カ月かかりましたから絶対に渡せません」。その間に、せっかく登校してきた生徒は帰宅していました。

私が勤務したどの学校も、用務員さんに言えば倉庫から即座に出してきてくれた。このシステムが分からん!この学校にたった一台あるプロジェクターも壊れている。意欲に燃える新任の教師(椅子を探し回った人)が直して生徒と映画を見ている。生徒は楽しげに笑っている。

イタリアの教育予算をネットで検索したら、ナント、日本の方がはるかに税金の投入額が低い。でも、生徒の数が多ければ教育予算は増えるから、生徒1人当たりで調べても、やはりイタリアの方が多い。

椅子やらプロジェクター、校長がトイレットペーパーを一個ずつ個室に入れている例からも、理解しがたい結果でしたが、イタリアの大学の授業料が、無償ではないけれどすごく安いことが判明。国公立も私立も年間10万円以下でした。もしかしたら、この点が教育予算の違いなのかもしれません。先進国で最も教育予算が少ないのは日本でした。

「頭空っぽ」と言われている生徒。でも授業内容はなかなか高度でした。まず、詩の暗唱が多い、言語も難解。美術の授業はまるで哲学のよう。生徒もいっぱしの理屈を教師に返す。注意されれば携帯も手渡すし、ヘッドフォアンも外す。その辺は、頭空っぽとは思えない。

おにぎりを握るために、進学クラスから普通科クラスに替わったという女子生徒の話を知っていますか?

DIAMOND ONLINEによれば、≪おにぎり2万個を野球部員のために握った女子マネージャーの話が話題になっている。この女子生徒がマネージャーを務めるのは、埼玉の春日部共栄高校野球部。開幕戦で春の甲子園の覇者である龍谷大平安を撃破したことでも話題となった。 この春日部共栄野球部では、体力強化のために練習中におにぎり5個を食べるということで、女子マネージャーが握っていたそう。その数、2年間で約2万個。そして、おにぎりを握ることに専任するために、進学コースから普通コースにクラス替えまでしていたという。≫【参考:夕刊アメーバーニュース】

反原発運動の一環として、運動の拠点を作るとの連絡があった。拠点というからには、生活もできる場所ということ。誰が掃除をし、誰が食事を作り、誰が食器を洗い、誰がゴミをだすのだろうかと考えた。いつも会議で使っている共同の部屋がある。運営は、原資を篤志家が出し、運営費は利用料と寄付で賄われている。
今は改善されたが当初、特に気になったのが煙草の吸殻の始末。時には灰皿にてんこ盛り。気の付く人が片付けるのだが、それはいつも女性。私は気が付くけど片付けない。片付けている人に言う。「火事になってもしゃあないやん。吸った本人の責任や」と。でも、多分吸っている張本人(複数)は、片付けるということが頭にないのだろう。灰皿は自動的に綺麗になっているものと思い込んでいるに違いない。運動は、身の周りのことを自分でなしてこそ、実のあるものになる。女子マネージャーが握ったおにぎりを食べて野球に勝った春日部共栄高校と、反原発運動のメンバーが重なる。

政府が進めるいわゆる「女性の活躍」を推進する法案について、厚生労働省の審議会は30日、報告書を取りまとめ、一定の規模を超える企業に女性の登用を進めるための計画の作成を義務づけるよう答申しました。一方、女性管理職の割合について数値目標を課すことは、経営側の強い反対もあり見送られました。
(2014.09.30NHKより)

やぱりね。日本は変わらんね。
今日はここまで。

元同僚とお茶しました。現職の「良い時に辞めましたね」という言葉は、賃金や退職金だけでなく、仕事量や教育そのものについての息苦しさに耐えかねての発言です。今年4月から現在の高校の授業料無償化が、親の所得910万円以上は有償になります。これは民主党が2010年に全員無償化したものを、自民党政権になって変更したものです。
全員有償化にしなかったのには理由があります。無償化は、日本が国際人権規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」第13条を批准しているからです。ただ、日本は批准したけれど、「経済的に苦しい」という理由で留保とし、30年間無償化を実施して来ませんでした。国連からは何度も勧告を受けていましたので、民主党がただ単にばらまいた訳ではないのです。しかし、自民党が「ばらまき」と民主党の政策を非難したとき、マスコミはこれが特別なことではなく、むしろ日本は遅きに失しているのだと報道せず、民主党の政策をバッシングしていたような記憶があります。
アメリカを除く先進国では、大なり小なり大学までは無償です。一時は世界第二位の経済大国になったこともあったのですから、留保は取り消せたと思います。どこに税金を使うかの問題でしょう。報道でしか情報を得ることのできない大多数の人々を操作することは、マスコミを含め、権力を持っている人にはたやすいことです。

「授業料無償化が保護者の所得で有償になるけど、また仕事量が増えるね。職員会議での反応はどうだった?」との私の質問に、「話題にすらならなかった」とのことでした。保護者の所得で線引きするということは、全保護者の所得証明書を集めなければなりません。私の経験からすると、そんなすんなりとは出て来ない。事情によっては、出せない保護者もいるでしょう。「担任、事務室の事務量を誰も考えなかったの?」と私は問いました。「もし税金で賄うのが難しく、高所得の保護者には応分の分担をと考えるのなら、所得税で調整するべきでは?」が私の考えです。徴税システムは既に確立されているので、全体的な事務量を考えればこちらの方がずっと理にかなっていると思います。前回のブログに書いたように、声を挙げなければ変わりません。これ以上事務量を増やして、本来の授業や生徒との時間が疎かになるのに、職員会議で問題にすらならなかったのが不思議でした。

ドイツの小学校の先生について以前に書きました。担任がお休みしたときの学校の対応についてでした。読んでおられない方は20131024日のブログを見てください。

ブログにある対象者は小学生低学年です。どうも日本のように学年一律にカリキュラムが進むというようではないそうです。ある日突然、5枚のプリントを持って帰ってきて、「明日、これがテストに出る」と言う。内容は日本で言えば高学年の「温めた水に温度計を浸けると、なぜ温度計の赤い液体が上がるのか」を説明するというもの。一切学校では習っていないのだそうです。ドイツもフランス(この二カ国しか情報が入ってこないのですが…)も小学高学年で、将来の進路コースを決定するシステムです。それを決める要因は成績です。
日本よりはずっと女性の社会進出が進んでいるこれらの国の親は、子どもの宿題にどのように対応しているのでしょうか?疑問だらけです。キャリアママ道を邁進するなら、子守りと家庭教師は必要条件とか(全てのキャリアママがそうではないでしょうが)。家庭学習ははんぱな量ではなく、これを支えるためには親の負担は相当なものになる。だから、日本の労働者のような働き方はできない訳で、労働問題もこういう点からも比較する必要があると、話を聞いて思いました。
日本の教育を受けた人が、ドイツの小学校の教育を理解するのはなかなか難しいようです。「きめ細やかな先生の指導の下、毎日楽しく学校生活送ることがをできても、その教育という列車の行き着く先が、自由とか基本的人権のないところなら、ドイツの方がましだから、ドイツで頑張る」というのが結論でした。

さて、本来のブログ、労働問題です。労働者派遣法の国会質疑の中継を見ました。共産党の高橋千鶴子議員が質問し、田村厚労相大臣が答弁していました。やはり野党は必要ですね。それも舌鋒鋭い、その問題に精通している人が。

国会で審議中なのでまだ結論は出ていませんが、審議会の答申通りに可決されるでしょう。日本は、正社員に比べてかなり賃金の低い、雇用期間の不安定な非正規の労働者ばかりになる道筋の法律です。企業は、短期的な仕事だから非正規を雇用する訳です。短期的だから、社員並みの福利もないから、時間当たりの賃金を正社員よりも二割高く設定するというのが、非正規労働者への待遇、これがEUです。日本の派遣労働者は、低賃金プラス雇用期間不安定プラス働いている企業に直接雇用されていない形態です。
極端な場合、「明日から来なくていい」と言った会社は、何ら胸の痛むこともなく通告できるシステムです。不安定な労働者を減らしていくのが、根源です。この根源が守られていれば、ある程度の社会問題は解消されます。では、なぜEUのように非正規と正規の時間当たりの賃金が同じであるところから出発できないのか?とても疑問ですよね。
それは職務給というに考えあります。田村厚労相もこの点に言及していました。

次回は、職務給と職能給について書きます。
現在国会で審議中の労働者派遣法には、経営陣からも疑問が出ているそうです。そのあたりも調べてみます。

では、今日はここまで。

今回も教育から。

ドイツの小学校に通う小学生の話しです。この小学生の担任が3日間の病欠だそうで、メールが来た時点では3日目でした。先生のお休み、これはどこにでもある話しですが、ここからが日本と異なります。

そのクラス児童は、他の5つのクラスに振り分けられました。他の5つのクラスには当然担任がいます。そのクラスの担任が、振り分けられた子どもたちの面倒を見るというのなら、まあ分からなくはありません。日本なら、まず他のクラスに振り分けしないで、教頭とかのフリーの先生が勉強を教えます。

で、ここからが全く理解できないことなのですが、振り分けられた子どもたちは、振り分け先のクラスの先生の授業を受けるのではなく、同じ教室でプリント学習をするのだそうです。同じ学年だから同じ教科書です。でも教室の前で教えている先生はあくまで自分の担任しているクラスの子どもだけを教えている。振り分け先の元々のクラスの子どもたちは4時間授業、で、自習している子どもたちはプリントが出来次第の3時間で帰宅。
前回、日本の小学校の運動会における高学年の子どもたちの一糸乱れぬといってもいいほどの団体競技について、それが行き過ぎた場合の怖さを書きましたが、さすがにドイツのこの例に、こんなばらばらでいいのだろうかとの感想を持ちました。他のクラスに振り分けられたこの小学生は、そこで初めて、自分の習っている先生との進度が違っていることに気が付いたそうです。日本で言えば、掛け算をしているクラスと、まだ九九も暗唱できていないクラスのような例えでしょうか。

この小学生が日本の小学校に通っていたときの担任は新人でした。でも、絶えず学習の進度や教え方についての学年会議があり、新人の先生のクラスの子どもたちが特に進度が遅れるということはありません。画一的というのを嫌うことはとても大切だと思いますが、ドイツのこの例に関してはどう考えればいいのでしょうか?労働者である教師という観点からは、病欠した同僚のクラスの子どもたちの面倒をみるのは「契約以上の労働」になるとの考えなのでしょうか?いつも労働者の側に立たねばと言っている私ですが、理解に苦しむ内容です。

後日談で、この小学生の担任はさらに3日間の病欠だそうで、後半の3日間は他の学年の先生がクラスに入られるとのことですが、勉強は教えないそうです。やはり、教師の労働者としての問題のようですね。

そこで、教師の労働とはどのように定義されているのか、ILOの条約で調べてみました。この小学生の親は、日本の教育とドイツの教育を知っているから、日本を基準にして「なんで他の先生がカバーしないの」と思ったようですが、ドイツの教育しか知らない親は、これが当たり前かもしれませんから。
ILOは国際労働機関、ユネスコは国際連合教育科学文化機関、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization U.N.E.S.C.O.の略で、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関。この両者が共同で「教員の地位に関する勧告」(ILO・ユネスコ勧告)を作成して、1966年に採択されています。
この勧告で重要な点は、これが条約でもないにもかかわらず、監視機関として<「勧告」の適用に関するILO・UNESCO共同専門委員会>という組織が設立されていることにあります。日本の教職員組合は2005年に、この監視機関に申し立て『日本の教職員の労働実態と健康への影響について』(全日本教職員組合)を行い、この監視機関は、日本政府に「改善のための勧告」を出しています。(日本政府への勧告は労働時間だけに限らず多岐にわたります)ただ、この申し立てが約10年前なので、新しいデーターが使用されている
東京学芸大学紀要2013年<教員ストレスに影響する要因の検討─ 学校教員の労働環境と意識─佐野秀樹・蒲原千尋の論文から一部抜粋の形で引用させてもらいました。
読んでみようと根気(勇気)のある人は「続きを読む」をどうぞ。これを読むと、ドイツの小学校の病欠の先生の例よりも、なんでも引き受けてしまう日本の教師の方が少数派なのかも知れないという気もします。

滋賀県の嘉田知事が「小泉元首相の反原発の意見を歓迎する。また、教育に政治が介入してはいけない。学力テストの公表には反対する。政治家の役割は教育の環境を整えることにある」というようなことを述べたと新聞で読みました。
ぶれない知事で一安心です。
では、今日はここまで。


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縁あって近所の小学校の運動会を見学しました。

最後の職場であった高校は、この小学校と隣接していましたので、二学期が始まると、運動場で毎日練習が行われ、6学年が入れ替わり立ち替わりし、運動会当日が近づいてくるに従い、練習も過熱しし、大音量の音楽と児童の掛け声、それに指示を出す先生の声は毎年の風物詩となっていました。こうなると、高校での授業はお手上げ。高校一年生の入る校舎からは、小学校の運動場が一望できるからです。炎天下の指揮をとる先生を見ながら、「高校の教師でよかった」と思っていました。

高学年ともなると、一糸乱れぬ団体競技(たまに動作緩慢な子もいますが、一所懸命はどの子も同じ)に保護者は拍手で讃えていました。で、相変わらず意地悪な私は、隊列を組んで、同じ方向を仰ぎ見る児童の視線の先に、日の丸の旗のないことに安堵していました。さらに右傾化が進んで、運動会にすら日の丸が登場するようになったら、先生方、同じ方向を仰ぎ見るような動作は止めてくださいね。

「仰ぎ見る先に旗があるのは、ちょっとやばくないですか?」って気の付いた先生が発言できるか甚だ心配です。その理由の一つは、教師は細部の一つ一つには向かい合う力があっても、日々の業務やそのこと自体に埋没してしまって、全体を見ることがなかなかできないからです。そういうことを出来るようにするには、教員が多忙ではダメなのです。たかが小学校の運動会を侮ることなかれ!世の中の変化はこういうところに萌芽するのです。

で、もう一つ。大阪市長の橋下さんの盟友の大阪府の中原教育長が、いよいよ本領を発揮しましたね。昨年の口パクは一校だけの話だったのですが、なんせ今は教育長。大阪府の教育を支配下に置きました。

新聞記事から一部抜粋です。

「大阪府教委が、入学式や卒業式で教職員が実際に君が代を起立斉唱しているか、管理職が目視で確認し、結果を報告するよう求める通知文を府立学校に出していたことが18日分かった。中原徹府教育長は府立高の校長時代、君が代斉唱時に教職員の口元の動きをチェックし、論議を呼んだ。今回も同様に口元を確認し、徹底を図る方針で、再び議論が起きる可能性がある。919日毎日新聞)


私ならどうするか、最後まで闘って処分をくらうか。でも何回か続くと懲戒解雇もあるし、そうなれば退職金はパアだし、悩ましい限りです。私は退職金も貰ったし、萌芽はあったtけど、ここまで厳しく監視されるなかったときに教員だったから、こんな呑気なことをほざいてられるのです。「思想のために死ぬな」という考えもあるから、「バカバカ」と言いつつ口をパクパクさせる手もあるし、等とあれこれ考えてしまいしたが、すぐに気が付きました。管理職の場所から、パクパクは見えても、聞こえない。私が考え付くようなことはすぐに見抜かれて、次の通知文には「教員、隣り合った者同士で口パク及び歌詞を確認すること」と書かれることでしょう。
「思想を強制してはいけません。大好きな人はいつでもどうぞ。でも、嫌いな人もいる。その人のことも尊重してください」が私の考えです。


今回は、完全に労働問題から外れましたが、今、解雇特区、派遣法の改悪、均等法改正の骨抜き等、労働者の人権はまったく顧みられない法案が着々と密やかに進められています。その報告もしなければと思っているのですが、これらのことを考えると吐き気がしてきて、なかなか取りかかれなく、つい、体験から書きやすい内容になってしまいます。
そう!こういう、「ややこしいことは考えんとこ」。これぞ、政財界の狙いなのでしょう。

では、今日はここまで。

参議院選は予想通りの結果でした。もうとっくに過去のことのようですが、まだ一月たっていないのですね。暑い夏に、思考が止まったような結果でした。

今日は敗戦記念日です。今朝の朝日の社説にサザンオールスターズの「ピースとハイライト」の歌詞、
『何気なく観たニュースでお隣の人が怒っていた/今までどんなに対話(はな)してもそれぞれの主張は変わらない/教科書は現代史をやる前に時間切れ/そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?』
が引用されていました。えっ!何気なく観たテレビにお隣の人が写っていたの?と一瞬思いましたが、お隣とは、朝鮮半島や中国、お隣の範囲を広げればアジアの意味だったと直ぐに勘違いに気が付きました。けれど、この歌詞にあるように、現代史を学んでいなければ、疑問のままかもしれません。

以前のブログに、ジェンダーに関する、学校だけにはとどまらない教育について書きましたが、今回は、この歌詞に触発されて、思い出したことを書きます。

一年は52週。高校での一単位とは、35週分を学ぶということ、これが最低履修単位です。一週1時間(50分)、35週分学んで1単位。週に3回授業のある科目なら3単位です。世界史や日本史は普通科では大抵4単位、即ち週4回時間割に出てくることです。世界史は必修科目ですが、日本史は選択科目ではありません。
日本史は、地理とどちらかを選択履修するので、日本史を学ばない生徒もいます。日本史を必修にするべきとの根強い声もありますが、昨今の日本の内向きな政治を思うと、世界史を必修にしたことは正しいと思っています。
歌詞にある『
教科書は現代史をやる前に時間切れ』の
日本の現代史は世界史のなかで捉えられるべきものです

新学期の準備期間中に、その教科を担当する教員が集まって何度も、1年間の授業展開につて相談します。

歌詞にある「現代史の前に時間切れ」には二つの点で考えるべきです。一つは大学入試、もう一つは単なる時間切れです。

大学入試に出題される事項は、学術的に定義が定まっていることが前提ですから、そこに?は入りこむ余地がありません。「従軍慰安婦の証拠はない」とか、「侵略の定義はない」とかを、ほぼ独裁的になってきた現政権が主張している昨今では、出題されることはありません。現代史を学ぶときに、単なる事実の羅列に終始してしまうのは、この辺の影響もあります。現に「従軍慰安婦」という記述は、教科者から消えてしましました。以前の教科書には載っていた事項がなくなったことの背景を考えるのも、意味深い授業展開が出来ると思いますが、どうも私が現職であった頃よりはずっと監視の目が入っているようです。大阪や東京よりはずっとましな滋賀県だろうとは思いますが、危ういところにいるのでは?まして、従軍慰安婦の記述のない教科書で学んできた人が先生になれば、言葉を知っていても、その記述がなぜ削除されたのかを生徒に敢えて伝えることはしないでしょう。「貧困は連鎖する」と言いますが、「教育も連鎖」します。教育は、すぐに影響が出ることはありませんが、それ故、人格に深く浸透して、消し去ることの難しいものです。

福島原発事故でも、この国の方向が転換されなかったのも、明治以降の教育の成果?だと私は思っています。勿論、ジェンダーもです。

酷暑の8月!ブログ、なかなか更新しないにもかかわらず、しばらく夏季休暇といたします。

では、今日はここまで

本来は、517日に出された国連社会権規約委員会からの「日本に対する第3回総括所見」のことと、これに対しての関係各省庁の官僚と意見交換をしたことを書くべきなのですが、思うこと多々あるので、先にこちらから。「嶋川版徒然なるままに」です。厚かましいに「度」が付きますね。

自己実現という言葉があります。私の課題でもある女性の労働問題についても、「女性はなぜ外で働きたがるのか?」の問いに、「自己実現のため」と答えている文章をよく目にします。しかし、私は、卒業生の話を聞いて、「自己実現よりも自己表現」ではないかと考えています。「自己実現のための自己表現」「自己実現しても自己表現」。

しかし、自己実現って、簡単に言ったり書いたりしますが、考えてみると意味のわからない言葉です。「自己を実現する!ウン?」
「表現する」というのは、他との関わりの上に成り立つ言葉です。山奥の私(orあなた)しかいないところで一人で暮らしていても、日記を書いたり、ぶつぶつ言ったり、何かしら自分を表現していると思いませんか?
自己実現は、あくまで個人の問題のような印象を持ちます。

だから、「表現の自由」は基本的人権の内の重要な一つであり、今の憲法では、曲がりなりにも保障されています。参議院選の結果、憲法改正(私は改悪と思っています)になって、表現の自由が制限されることになる可能性も否定できません。そのときのために、庶民は思っていることを、井戸端会議でも、投書でも、いろんな方法でしておく必要があります。日常、表現をしておかないと、それが制限されたときの比較ができなくなりますから。しかし、表現するのは、書くにしろ、言葉にして言うにしろ難しい。表現のために必要な言葉はどれか?何を表現するのか?

twitterは140字で表現します。最近は番組の最中にどんどんtwitterが流れます。天気予報の放映中には、「明日、天気になるといいな」とかです。私はその都度違和感を持ちます。そんなことわざわざつぶやかなくてもいいのに、投稿しなくてもいいのにと。140字で表現できることって、とても表面的なことだと思うんです。必要なことを、的確な言葉で表現するには140字は短すぎます。

なぜ、このようなことを書いたかというと、安倍首相のfacebookの記事を新聞で見たからです。

まずの感想は、あんなに忙しいのに、よく書く時間があるなぁ!です。

次に、首相が、沈思黙考の上、書いているか、に対する疑問です。「左翼の人たち」と、いとも簡単に、安倍さんの意見に反対の意を表明した人たちを一括りにしています。私のこのブログですら、言葉の定義は調べてから書きます。首相の演説に反対表明をした聴衆者一人1人に、「あなた左翼ですか」って聞いて回ったのでしょうか。そもそも、左翼の人ってどんな考えの人を言うの?
(左翼、右翼の言葉の発生はフランス革命で勉強しましたよ〜!)

表現の自由を自分のものにするには、まず表現してみる。これが最初の一歩ですが、首相の言葉は、いくらfacebookとはいえ、個人ではない、政治家の、それも最も権力のある人の言葉です。軽々し過ぎです。軽いから、いくらでも書ける。どんどん投稿できるから、内容を精査しない。一方的な攻撃の言葉もしばしば見られる首相のfacebookは、靖国参拝に「個人として来ました」と言っているのと根底は同じだと思います。翻って私、このブログの内容は、別に書かなくてもいいのでは?はい、ごもっともです。

 

めげずに、書き続けましょう。私は名もなく、権力もないからね。

*先週のことです。植木に水遣りをするまでは、毎金曜日の反原発関電前集会に行かなければ、と思っていたのに、気が付いたらとっくに終わっていた時間でした。東京の商社9条の会のメンバーは、顔触れは異なっても常時20人くらい集まり、彼女たち、所謂おばちゃんたちの存在は、結構若者にも良い刺激を与えているようだと聞きました。集会後のお喋りも楽しみとかで、私も仲間があれば、うっかり忘れたりはしないだろうに!関電大津支社前は、常時30人ほどはいますが、全く個人で参加しているのは少数です。私は個人で参加しているので、いつも終わるとさっさと帰ってしまいます。でも、最大のショックは「忘れた」とうことです。これは、私の中で「原発」の存在が薄れてきた証ではないでしょうか。やれやれ!東電が新潟にある柏崎刈羽原発の再稼働を申請するとか、関電が大飯原発の下に活断層があると指摘されていることに、「活断層ではない」との調査結果を規制委員会に提出したとか、忘れている場合ではないのに…。私が集会人参加するのは、表現の一方法です。

*「女性の活用」という言葉。

今まで、「女性の活用」の言葉を使ってきましたが、使いつつ違和感がありました。でも、ぴったりくる表現が思い付かなかったので、「女性の活用」と言ってきました。しかし、安倍さんが言うと、なんか嘘くさい感じで、「登用して活躍できない女性はダメ!」とも言われているようにも聞こえます。生活保護受給者へのバッシングにも繋がっているような感じです。女性の活用の前提は、男女平等です。今後「女性の活用」の代わりに、何と称しましょうか?しばらく考えます。ふさわしい言葉があれば教えてください。安倍さんのは「マネーを生むための人材活用」のように聞こえて仕方ありません。安倍さんの三本の矢の「女性の活用」については、次のサイトを見てください。

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20120507/124201/?bpnet

 

627日、冒頭に書いた参議院議員会館であった、各省庁との意見交換会に参加してきました。そこでの報告は、次回にする予定ですが、この会場でも、その後に行った連合での総合男女平等局長の話でも、なぜ女性の地位は低いままなのかの疑問は解けるどころか、ますます膨らみました。で、やはり私の思考は教育に行き着きます。

知り合いの葬儀に参列しました。予想に反して沢山の弔問客で、一般会葬者の席は、前方か親戚席の後方しかありませんでした。「前にお座りください」の係りの人の声に、「男の人が前に行ってもらって」と、私とそんな年齢の変わらない数人の女性。結局、彼女たちは、親戚席の後部に座りました。

お葬式の例は、私年代か、もう少し上の人たちです。この年齢は仕方ないね、ではないのです。
高校一年生になったばかりの5月、現代社会の授業でディスカッションをして貰いました。クラス40人、4人ずつの10チームがテーマについて話し合い、その結果を発表します。4人という単位は、机を持って90度回転させれば円卓会議状態にできるからです。また4人という単位は、発言しないでいるには少人数過ぎるからです。司会、記録、クラス全体の前での発表、要旨を黒板に書く(坂書)する担当と、お客さんではいられないという私が編み出した方法の最適人数なのです。最初にこの役割を決めて貰います。その結果、見事に同じような役割分担となります。司会と発表はほぼ男子生徒、記録と坂書はほぼ女子生徒です。中学校卒業から2カ月、この光景と、冒頭のお葬式の光景は、連綿と繋がっているのです。

これから、国連の社会権規約の所見と、雇用均等法を審議している審議会の意見書を読み比べてみます。その結果は次回に。
では、きょうはここまで。

じぇじぇじぇ!朝ドラではないけれど、ナニ?
夕方7時のNHKニュース、水俣病患者認定の最高裁の判決が一番最初に放映、というのは理解できるし、ボストンマラソンの爆破事件も分からなくはないけど、大飯原発再稼働差し止め訴訟の大阪地裁判決が、「活断層ではない」という理由で敗訴になったニュースが、なんで山形で護送中の受刑者の逃亡事件よりも後に放映されるのよ。
なんで、地質学者が活断層の可能性が高いと言っているのに、関電側の主張「地滑り」の意見を採用するのよ。
司法も地に落ちたね。最初にこのニュースが放映されなかったのは、余りにお粗末な判決で、控訴審でもっと真面目にやれ!という意味合いなのかなと深読み?浅読みしています。
司法は「地に落ちた」を完全に裏付けました。私が傍聴した非正規労働者の解雇、男女賃金差別の判決で、かなり落胆させられてはいますが…。
そうか、司法が、権力の言いなりは、この高名なる最高裁長官が証明済みなのだった。その判決とは、砂川事件です。

毎日新聞によると、≪砂川事件とは、1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。

ついでに、高校日本史の資料集の解説を見ると、≪1955年、立川基地の拡張に反対する東京都下砂川町の住民は、反対同盟を結成して町ぐるみで反対運動を展開した。とくに女性たちの積極的な姿勢は運動の原動力となった≫とあります。
女性に言及しているとは感心!感心!沖縄の普天間基地を、辺野古を埋め立てて移設することに反対して先頭に立っているのも女性、上関原発建設で反対の先頭にいるのも女性です。
やはりここでシュプレヒコール!「反原発と女性の登用」。
横道にそれました。で、権力に迎合したのは田中耕太郎長官。詳しくは「続きを読む」で。

一審を破棄したのは、アメリカと日本政府の意向を受けた田中長官の密談の結果だったのですね。田中長官が一審破棄の考えを持っていたとしても、他の裁判官に介入してはいけません。(今、毎日放送の【TODAY】を見ながらこれを書いていますが、スポーツの前、ニュースの最後でようやく大飯原発の判決が触れられました。)



前回のブログの続きです。そう、教育です。今回は、日本の教育ではなく、ドイツの小学校を紹介します。

日本の文部科学省統括の中央集権型教育と違っていると思いますから、ドイツ中の小学校が同じとは断定できません。ドイツバイエルン州の小学校一年生の教室です。学校あげての「詩の朗読会」があるので、各クラスから1人代表を出すことになったそうです。各クラス、出たいものが名乗り出る。クラス児童の前で詩を読む児童が投票して代表者を決める。
で、選らばれたのは、特にドイツ語が堪能な子どもではありませんでした。親の片方が日本人なので、ドイツで暮らしているけど、読むのは日本語の方が得意という子どもです。だから、「上手」という観点だけで選ばれたとは思えません。以前、TVで見た中国の小学校の学級委員を選ぶ番組では、お菓子とかの賄賂が横行していましたが、そういうことは一切なし。その辺に居る普通の子どもです。


さて、日本の教室とどこが違うでしょうか?

日本なら、それがクラス代表、全校あげての行事なら、まず先生が選ぶでしょうね。出たいものだけが名乗り出るということもしないかも。

小さい頃から、自分たちで決めるという積み上げが、大人になっての行動や考えの違いで出てくるように思いました。日本の小学校で、クラス代表を先生が決めるのが当然、その結果が、日本の現状を作っていると言えば、ちょっと飛躍しすぎでしょうか。

では、今日はここまで。


 

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